カードゲームは運ゲーなのか?

たまにはこういう、リリースしているゲームの告知・宣伝以外の事も書こうと思います。でも、ちょっとだけリリース中のゲームにまつわる部分もあるよ。

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対戦カードゲームは運ゲーなのか?

最近、Hearthstone をちょくちょくプレイしています。まだまだ現行メタも追い切れないしArenaで3勝もした事ないような雑魚ですが、Solo Adventureでカードを集めながらどんどん楽しくなってきているところです。

Hearthstone はTwitch.tvで配信が多く、トッププレイヤーのプレイを(仕事中のラジオ代わりに)よく観るのですが、運に左右されるカードをプレイした直後などに、「e-Sports」というコメントがたくさんつく事があります。これは、運によって勝敗が左右されるようなゲームがe-”Sports”だなんて、実力勝負になってない、という嘲笑や揶揄のようなニュアンスを含んだものなのですが、実際に対戦カードゲームは運ゲーなのでしょうか。

実際のところ、そうではありません。今回は「対戦カードゲームが、ただの運ゲーではない理由」についてつらつら思うままに語ってみたいと思います。今、「そんなのもう知ってるよ!みんな知ってるような事を偉そうな顔で語るなよ!」と考えている人は、ここから先はもう読まなくてもいいですよ。多分、知ってる事がそのまま書いてあるので。


「運」はどうしようもないものなのか?

将棋で有名な羽生善治さんが言ったとされる「偶然性のからむゲームの方が実力差がハッキリ出る」という発言があります。(具体的な出典不明、知ってる方いたら教えてください)

この発言は、今回のテーマを一言で説明してくれる言葉だと思います。

対戦カードゲームをプレイするとき、プレイヤーは自分の手札場札しか見えません。(捨て札があるならそこと、あと山札と相手の手札の枚数は見えますが…とにかく、見えている範囲だけ見えてる、ということです)

そして、その中で自分のプレイしたいカードを選んで、プレイします。 ゲームのルールによりますが、それぞれが山札から少しずつ手札に加えていきます。場に出したカードを使って行動を起こしたりもします。

何をプレイするべきか、何を行うべきか、初心者プレイヤーは「今見えるもの」から判断します。「あのクリーチャーが脅威!除去する!」「このカード強いから出そう」 しかし、対戦カードゲームの上級者プレイヤーは、「今見えていないもの」も判断基準に加えます。つまり、例えば「今このカードを使ってしまって良いか、相手がまだ使っていない切り札がないか」「自分の手番を終えた後、相手が何をしてくるか、それに対して今の行動は無駄にならないか」などです。

カードゲームは山札から手札に加えていく未来のカードが見えない以上、カードを引いた後の展開を予知する事はできません。しかし、予想する事は出来ます。予想した上で、より有利に立てる確度の高い行動を選択する事が出来るから、トッププレイヤーは強いと言えるのです。強いプレイヤーは、見えないところをこそ見てプレイしています。

例えば、状況が不利なので場にいるカードを双方全滅させる呪文を唱えたい、とします。しかし、自分の手札にすぐに出せる強力なキャラクターがいないのであれば、相手の手札やすぐ引いてくるカードに強力なカードが潜んでいたら、場は再度不利な状況になってしまうかもしれません。これまでに相手がプレイしたカードやデッキ構成、手札の残り枚数やこれまでに取った行動から、相手がそのようなカードを出してくる可能性があるかどうかを判断して呪文を唱えるのと、何も考えずに呪文を唱えるのとでは、プレイヤーがその後勝てる可能性を確実に掴めるかは、天と地ほどの差があります。今いる味方のカードを強化してその場を凌ぐ方が、より後に起きうるもっと不利な状況に、全滅カードが活かせるかもしれません。

勿論、予想が外れる事もありますし、杞憂のために有効手をふいにして負ける事もあるかもしれませんが、それでも強いプレイヤーは強いです。それは単に、運が良いからではなく運に左右される情報も含めて判断し、ベターな選択が出来るから強いのです。(ベストがどれかは、結果が決める事です) カードゲームは運のゲームだ、と感じてしまうプレイヤーは、「同じ運に対しても、自分には選択肢がある」という事に思い至れていないために、そう感じてしまっているのだと思います。

こうした運をどうにかする強さは、勝率という形で現れます。全く同じデッキで対戦しても、始めたてのプレイヤーと強いプレイヤーが勝負すれば必ず強いプレイヤーに勝率が傾きます。また、「それでも、どうしても運に大きく左右されて覆せないケースがある」ために、対戦カードゲームの試合では、複数本先取制が多いとも言えます。試行回数が増えるほど確率の分散は収束して、双方の実力差による差が出る最低ラインまでは試合をする、という事です。(そして、実力が本当に拮抗した時、最後の最後に運に愛された側が勝つのもまた対戦カードゲームですし、そこがまた熱かったりするんですが、それは個人の感想なのでよそに置いときます)

細かい話まですると、強いプレイヤーはさらにメタ読みブラフもします。カードゲームは拡張パックの発表や公式大会で使用可能なカードが遷移するものが主流なので、時期によって特に有力なカードやデッキ編成が偏ります。それまでの対戦の経緯から「相手はこの状況で、あの手札を出せただろうに出さなかった→相手のデッキは今流行のこういうタイプのデッキ→こういうタイプのデッキで入ってくるカードはこれとこれ→この状況で使わない判断をするなら、あの手札のカードはおそらくあのカードに違いない」というような、確度の高い予想まで行います。またそれを逆手に取って、敢えて動けるところを動かずに相手の判断ミスを誘い有利な展開に持ち込む事もあります。何も手がないのに、あるかのように振る舞って、相手に不利な行動を取らせる、なんて事も。

羽生さんが「偶然性のからむゲームの方が実力差がハッキリ出る」と言った言葉は、将棋のような「情報が全て目に見えるゲーム(完全情報ゲーム)では、目に見えるだけ考えつくせるだけの可能性しか分岐が存在しない」ですが、「情報の一部が隠されていたり展開が偶然に左右されるようなゲームは、可能性の数が完全情報ゲームの比ではなく、またそこに対してプレイヤーがどこまで想定が及ぶかの差の勝負になる」ので、全く先を読まないプレイヤーと展開を深く読むプレイヤーとの差は、目に見えない情報の幅分だけ広がるという意味で口にしたのではないかな、と思います。

Nussygameで開発しているDeckDeDungeon・DeckDeFantasyでは、デッキ内容の構成を見る事は出来ても、山札や捨て札にあるカードを個別に見る機能を提供していないのは、この理由からでもあります。見えない範囲の情報と可能性をより高確度で想定してプレイできるプレイヤーが、より高い難度の障害を超えられるべき、という前提から成り立っているルールです。(それでも、一部の過激な効果のカードによってそういった部分を完全無視したデッキを作れてしまっているのが現状ではありますが…)

すggggggっごいどうでもいいですが、ポケモンの役割論理をこよなく愛する論者の方々が言う「必然力」は、この「勝利する確度が高い選択肢を選び、その必然を引き当てて勝利する」という意味でこの概念に通ずるものがあるかもしんないですね。知らんけど。


「運」は、誰のためのものか?

「それでも、どうしても運に大きく左右されて覆せないケースがある」事は、誰にでも起こります。トッププレイヤー同士の戦いにおいても、初心者同士の戦いにおいても、トッププレイヤーvs初心者の象vs蟻的対決においても、です。

これは、実は初心者プレイヤーにとってとても良い事です。ゲームを始めたばかりで、カードをプレイする事がただただ楽しいだけで、戦略も戦術もなく、デッキも構築済みだったりスターターで手に入れた初歩的なもので、そんな初心者プレイヤーでも、運が味方すれば勝てます。

土地しか引かないんだけど…

これは「ゲームを楽しむ」という点においてはとても大事なもので、弱いプレイヤーでも強いプレイヤー相手に勝つ経験を持てる事を意味します。サッカーの本田選手に小学生1年生がタイマンで挑んでも、絶対にボールは取れないでしょう。でも、対戦カードゲームなら、勝つ可能性があります。(1ターンキルコンボデッキとか使わない限りですよ、そこの意地悪な先輩プレイヤーさん!)

ゲームは娯楽なので、楽しくなくてはいけません。そうでなければ、誰も遊ばなくなってしまいます。勝てなければ、当然楽しくありません。(負けても楽しいゲームというものもありますが、誰だって負けるよりは勝った方が楽しいです) 勝てる、あるいは勝てそうな、楽しい経験を持てるという事は、ゲームを始めたプレイヤーがさらにそのゲームで今後も楽しんでいこうと思えるための重要な条件です。「運」は、そういうプレイヤーに心地よい機会を与えてくれる事があるわけです。

また、こういう要素があるからこそ、「トッププレイヤーでない層による大会」も楽しいものになります。運の要素が絡まない競技で無差別級の大会を開いても結局はトッププレイヤーだけが残ったトッププレイヤーのための大会にしかなりません。運の要素が絡む事で、「まだまだ未熟な自分でももしかしたらチャンスがあるかもしれない」と挑む敷居も下がり、また見る側も「無名のプレイヤーがあの名選手から1勝取った!」というどんでん返しの驚きを楽しむ事も出来ます。

対戦カードゲームがとても広い層に楽しまれているのは、運による要素のおかげであると言っていいかもしれませんね。


そして… 「運」は楽しい!

これは、言うまでもありませんね。

「次に何のカードを引くのか?」

ワクワク、ドキドキ、どうプレイしたものか、俺の判断の結果はどうだ!?驚き、衝撃、その連続。

「運」は常に未知の興奮をもたらしてくれる、ゲームの大事なパートナーです。でも、時には単にただひたすらストレスを与え続けるだけの要素にもなりえます。

「運」を正しく扱えるゲームを、今後も作っていきたいです。

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