カードゲームは運ゲーなのか?
という記事を書いたのですが、それに対してAsk.fmにて質問をいただきました。
ブログの10/6の記事にある「(前略)山札や捨て札にあるカードを個別に見る機能を提供していないのは、この理由からでもあります。」という一節ですが、山札はともかく内容や順番がすでにわかっている捨て札も「見えない範囲の情報と可能性」に関係するという理屈が今一つピンとこなかったので、改めて詳しく聞いてみたいのですがよろしいでしょうか。あと、MTGなど大抵のカードゲームでは墓地は双方が自由に確認できるルールになってますが、あれらは実は考えものなのでしょうか。
Ask.fmでそのまま返答してもよかったのですが、書いているうちに結構な分量になったので、続編記事として掲載する事としました。
記事本文で、それぞれの疑問にお答えしていきたいと思います。
[[MORE]]
「 DDFで山札や捨て札を個別に見られない事と、”見えない範囲の情報と可能性”に何の関係性があるのか?」
DDFにおける捨て札が見えないルールは、カードカウンティングというトランプゲームなどに使われる技術を想定しています。
(引用元) 高度な戦術 「カードカウンティング」
>「カードカウンティング」 とは、本格派の熟練プレーヤーがよくやる戦術で、すでに使用された (すでに見えてしまった) カードを記憶し、まだ未使用の山の中にどのようなカードがどれほど残されているかを読む高等戦術である。
捨て札に何のカードが落ちているか見えると、必然的に山札に残ったカードがわかります。山札に残ったカードがわかれば、次に来る手札を想定しやすくなります。この部分を、不可視化して人間の記憶力に頼る形にしています。指摘されているような捨て札に行ったカードは「過去に見えた情報」であって、「常に見える情報」でなくなった場合には、厳密には同列に扱えない情報になります。(Hearthstoneも最直近のログ以前に消費されたカードはプレイ中に参照できず、デッキから失われたカードは「過去に見えた情報」扱いです)
少し具体的なケースを書いてみます。煉獄挑戦中、デッキ90枚・捨て札70枚でCPが残り少なくパッシブでの回復手段がない時、CP回復カードが山札に残っているかをプレイヤーが記憶によって正確に判断できるかできないかは「チョコレートケーキ」のカードをピックするかしないかの判断に影響し、そのピックによって火力不足から負ける展開や、ピックしなかった事でCP切れで負ける展開もありえますし、逆もまた然り、です。「見えていた70枚のカード」が「常に見える情報」であれば、これは捨て札一覧 or 山札一覧が見えてしまえば即座に結論が出てしまいます。そうした実データの分析に時間をかける事よりも、経験と記憶力と直感で判断してもらえるように、DDFでは山札と捨て札は開示しない事にしています。
勿論メモしてしまえば丸わかりではあります。しかし、それを行うと当然プレイに時間がかかります。これは、例えばパズドラで一手一手を完璧な動かし方を碁盤などを使って検討してからその通りにプレイするのが最善であっても、そうしないプレイヤーが多数を占めるのと同様に、使ったカードをメモしてプレイする事は少ないと思いますし、そこはプレイヤーの裁量に委ねています。どうしても負けたくない戦いに挑む時は、捨て札メモも効果的かもしれません。(負ける時は負けますが) パズドラでタイムアタックがランキングになっているのも、戦術思考の質が突き詰めたら全ユーザで同質のものになってしまうので、最短で最良の思考・操作が出来るユーザがランキング上位になれるルールになっているものと思われます。DDFも、プレイヤー間でプレイの質をランキングで図るなら、突き詰めるとタイムアタックルールが採用されると思います。
MTGなど大抵のカードゲームでは墓地は双方が自由に確認できるルールになっているが、あれらは実は考えものなのか
”MTGで”墓地が自由に確認できるルールはNGか?答えはNOです。MTGには、「墓地閲覧は不可欠」です。
これは、戦略性など以前の「ゲームのルール運用」にまつわる理由から、です。
MTGにおいては、墓地を参照するカードが無数に出てきます。墓地にあるカードの枚数に応じて効果が変化するものや、墓地のカードを別の領域に移動させるものなど、様々です。そして、MTGは基本的に、ゲームをプレイする上でプレイヤーがルールを運用します。(或いはジャッジ) この時、「墓地にあるカード」が見えていないと、カードの効果とそれにまつわるルールを正常に機能させられません。あなたがルアゴイフをプレイするなら、そのパワーとタフネスはゲームルールによってその場で確定されなければなりません。それは、人間同士で対戦してプレイするカードゲームであるという前提があるために、「墓地に何のカードがあるか」を、ルール運用者(ここではプレイヤーかジャッジ)が把握していなければならないからです。このため、MTGにおいて「墓地が見えた場合と見えない場合の戦略性の差」は言及のしようがなく、見える事が前提のゲームデザインになっています。
一方で、デジタルカードゲームとしてゲームデザインされたHearthstone 等では事情が異なってきます。全く同じように見えるゲームデザインでも、ルール運用者の立場によって運用の仕方が全く異なってきます。
Hearthstone のレジェンダリカード
Feugen と Stalagg は、他方が既に死んでいた場合に、Deathrattleの効果で Thaddius が召喚されます。この効果を例えばMTGで再現しようとした場合には、それぞれのカードに「~が破壊された時、オーナーの墓地に~がいるなら、11/11のThaddiusトークンを場に出す」というような効果に読み替えられます。このとき、MTGのルールでは墓地が誰にでも参照出来る事はこの効果を再現する上での必要条件です。しかし、デジタルカードゲームにおいては、ルール運用者が”コンピュータ”であるために、他方のミニオンが既に死んだかどうかをプレイヤーが正確に把握する手段がなくても「既に死んでいる、間違いなく」と判断してくれるルール運用者がいる事によってルールとして成り立っています。そのため、必ずしも「墓地」がHearthstone には必要がない、という事になります。ちなみにこのルール運用者が第三者であるが故に未開示情報でのルール判断が可能であるという事例はコンピュータゲームに限った話ではなく、例えば「人狼」ゲームはGMという第3者がプレイヤー達全員の判断がぶつかり合った結果を処理する事で、ゲームルールを成り立たせる事が出来ます。(そして、その部分をCPUに任せれば人間だけで遊ぶ事も可能になります)
MTGは、その楽しみ方として「紙のカードを直接触れて、パックを剥いて、人間が顔を突き合わせて遊ぶ」形を開発者側がとても大切にしているゲームです。MTGをデジタルだけで遊ぶゲームとして割り切ってしまい、「紙のカードを廃する」あるいは「ジャッジ必須のゲームにしてしまう」事によって、墓地を開示しないルールの採用も可能になるかもしれませんが、そうなる事はおそらく未来永劫ありえないでしょう。そうなるくらいなら、MTGではないIPにその役割(Wotc社が放つ、MTGではない、デジタルだけで遊べるTCG!?)を担わせるでしょうし、そもそも墓地秘匿にする理由が今のMTGにはありません。
余談ですが、Hearthstone で捨て札領域が見えない問題について、一部では否定的な意見も出ているようです。「墓地が見えなくてもいい」はルール運用上の条件に過ぎず、「見えた方がいいか、見えない方がいいか」はゲーム開発者が決定してもよい事で、「なくてもいい」だけで「あってはいけない」わけではないのです。それはDDFにおいても全く同じで、DDFでも捨て札の開示は「あってもいい」し「なくてもいい」ものです。私個人の見解としては、Hearthstone については墓地が見えない方が面白いと考えています。理由は、前項で述べた通りなので割愛しますし、DDFについても、現時点では見えない方が良いと考えています。
おわりに ~プレイヤーはゲームを通して何がしたいのか?~
長くなりましたが、以上が「捨て札を開示しない理由」です。
しかし、この理由が常に適切であるとも言えない、とも考えています。
どんなゲームでも言える事ですが、ゲームは遊ぶ時に「何をしたいか」がプレイヤーの中にはあります。同じゲームであっても、「敵を一方的に蹴散らしたい」とか「複雑なコンボを決めて無敵になりたい」とか「駆け引きの中で辛勝をもぎ取る興奮を得たい」とか「まだ見たことがないアイテムを見つけたい」とか、ゲームジャンルやタイトルの特色に応じて色々です。
DDFに対しても同じように様々な要素を求めるユーザがいますが、「記憶力や直感を活かした駆け引きがしたい」と思っているユーザがどれだけいるかは、確実な数字はなく疑問が残ります。そうした事よりも、「次に来るカードを正確に把握して、綿密にデッキと敵をコントロールする」事を好むユーザが多いのであれば、捨て札は開示される方が望ましいかもしれません。先程、Hearthstoneの捨て札開示は不要と言った時にDDFと同列のように言及していました。プレイヤーに求められる技術と困難という観点から記憶力と直感を重視して不要と言いましたが、プレイヤーがゲームに求める体験という観点から言うと二つのゲームが提供する体験の質は全くの別物であり、要否の判断基準も近くとも違う場所にあります。
多くのユーザが開示された状況を強く望むなら、仕様変更も検討するかもしれません。
ゲームタイトルによって、情報の開示と秘匿の判断は
- ルール運用上必須であるか否か
- それぞれの場合において、何をプレイヤーに求めるのか
-
それぞれの場合において、プレイヤーは何を楽しむのか
によって行われます。どちらが正しいかはケースバイケースで、ゲームごとに開発者が決めなければいけません。
ゲームを遊ぶ時には、「この領域が隠されていると何故良いのか」「この領域が隠されていなかったら、ゲームはどうなるか」を考えながら遊んでみるのも、面白いかもしれません。