第36話 『旧き世に禍いあれ (4) – “悔恨”』 Catastrophe in the past chapter 4 – “Remorse”

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 これまでに起きたことを記録しておくべきだと感じ、ペンを取る。時間遡行を試みた結果に起こりうる事象の資料として、いつの日かこれが誰かの手に渡って、二度とこの愚行を繰り返さないための戒めとなってくれることを切に願っている。

 この記録が日の目を見たとき、私がまだ生きているかどうかは定かではない。私はグレーテル。精霊術、屍者蘇生、そして時間遡行を扱い、覇王の軍勢に抗う者のひとり。

 時間遡行は成功した。

 しかし、遡行の成功に伴って別の問題が生じたと現在は考えられる。

 戻って来たフィリップの表情は、言葉を選ばずに言えば、恐ろしいほど腑抜けていた。穏やかと言えば耳障りがいいが、まるで赤ん坊のように無垢な、そしてひたすらに弱々しい印象を受けた。出立前の、激戦を生き抜いた祖父に似た鋭い眼光は失われていた。この変化の理由は後に原因が推察されたが、それについては後述する。

 それ以外の変化として顕著だったのは、左腕が失われていた点だ。明らかに骨ごと委縮し変形しているようで、服の袖が余り、ぶらぶらと揺れていた。過去に幾人かの時空間研究者が犠牲となった密室変死のケースとの類似点が見受けられるため、フィリップもまた先人と同様に”猟犬”の襲撃を受けたものと即座に推察された。

 彼は帰還後真っ先に、今がいつかを尋ねてきた。ふたりが言い合わせた年は一致したが、それによって余計にお互い強い違和感を抱える事になった。

 フィリップは「随分と痩せた」と言った。

 そも、背が低いという。

 次いで、頬がこけ、出立前よりも年老いて見えると述べた。即座に今が何年かを確認したのは、その違和感からだったと判明した。

 私から見てフィリップも変化していることを伝えると、フィリップは驚き、その後長い時間沈思黙考を貫いた。この時点で我々は、時間遡行に伴ってなにか、歴史あるいは互いの身に想定外の変化が生じたのではないかという事に気づき始める。

 私も正直に、自分の知っているフィリップとは思えないと伝えた。

 認識齟齬を埋めるために、フィリップと私は自分たちの過去についての確認を行った。

『覇王の侵攻』が起きたという事実はお互いに一致していたが、まずその時期が異なった。驚くことにフィリップは彼の成人頃に侵攻が始まったと主張した。彼は、50年前のブラストフォート城塞から侵攻が始まった事実とは異なる歴史を記憶していた。時間遡行出立前に、神の遺骸から得られる魔力から算出すると、遡れるのは丁度50年になり、覇王の侵攻がはじまる前後になるだろうと事前に確認していた筈だが、その確認も彼の記憶にはないようだった。

 屍体は1体しか見つからなかったのか、と尋ねた。現在の戦力に当て、またあわよくばブラストフォート陥落を阻止する一助になるのでは、とブラストフォートでの覇王進攻が始まる直前の手つかずの屍体を大量に回収する算段になっている筈だったからだ。

 屍体の質こそ、中々お目にかかることの出来ない、完璧な屍体だった。筋骨隆々で栄養状態も良く、現在の世界でここまで栄養状態のいい屍体が見つかることなど、まずありえないと言えるほどだった。だが、送られてきた屍体は、1体だけだった。

 1体目の屍体送信後、不測の事態に見舞われ、逃げ帰るように彼は現代に帰還してきた、との事だった。しかし、その話も判然しない点が幾つかあった。まず、猟犬の存在について、まるで未知の存在に襲撃されたかのように狼狽し、語った。あれほど出現に備えようと事前に準備していたにも関わらず、彼はそれ自体の記憶がなく、過去に持ち込んだはずだった捕獲用の水晶も、存在すら知らないという様子を見せた。

 猟犬の問題はひとまず脇に置いて、過去の確認を進めた。

 私達が生まれた頃、既に世界は混沌に包まれていた。覇王の侵攻は世界を蹂躙し、秩序は失われていた。Buriedbornesの術も確立され、誰しもが生き延びるために必死だった。生まれてきた私達も、当然のようにその術を学んだ。私に全てを伝えた両親は、間もなく隠れ家が屍者の軍勢の襲撃に遭い、呆気なく死んだ。襲撃を受けてすぐふたりの屍体は”奴ら”に仲間入りしたため、ふたりの屍体を戦力にすることは叶わなかった。屍体は資源だ。売り飛ばす者もいたし、盗む者も多かった。炉端に転がっている屍体は利用価値のない屑のような部位ばかりなので、死後間もない五体満足な屍体は、それだけで重宝された。

 襲撃を生き伸びて、その後私はフィリップが属するコミュニティに拾われた。やがてそのコミュニティも覇王の軍勢による襲撃を受け壊滅したが、そのときでもふたりだけで生き延びた。

 これが事実だ。

 私の人生だ。

 けれど、フィリップは首を振った。

 一方で、フィリップが語る”私”の人生も、彼自身の人生も、私の知るそれとは全く異なるものだった。

 彼は、私の全く知らない過去を語り始めた。

 屍者が跋扈しない時代に生まれたこと、そこで人々が集まり安全に暮らすコミュニティで何不自由なく過ごしたこと、私たちが大学と呼ばれる学舎で知り合ったこと、卒業後は疎遠になっていたが、覇王進攻の際、逃げる中で再会し、お互いに生き延びるために手を取り合ったこと、など。

 信じられなかった。フィリップは、覇王を退け、屍者が支配する前の世界を取り戻すために私達は戦ってきたのだ、と力説した。他の多くの認識の齟齬よりも、何よりもこの発言こそが私を動揺させた。覇王の軍勢は巨大で、底が知れない。地の底から湧く軍勢をどれだけ払い除けても、尽きる事はなかった。私達にできる事は、その攻撃に抗い、生き延びて、どうやって今日を明日をつなぐかを考える事だけだ。

 フィリップは、現状に混乱しながらもなお努めて冷静さを保って、何がふたりのずれを生み出したのか、彼の仮説を語ってくれた。

 彼曰く、私が今生きる時代は、”新しい今”なのだという。この場に立つフィリップは古い歴史、旧史からやってきたフィリップで、私がいる場所が、歴史改変によって生み出された新史なのだ、と。

 それは一概に馬鹿げた主張だとは言い切れず、この異常な状況の説明ができるだけの筋が通っていた。

 多くの点で認識は異なっていたが、私とフィリップが共通して認識していることは『出会い』『生き延び』『ふたりで屍者を使って戦い』、そして、『時間遡行でブラストフォート城塞へ向かった』ことだった。

 当時の権威であるスヴェン博士は、ブラストフォート城塞の屍者襲撃で殺されたと言われている。当時の正確な状況の判断は困難だったが、事件以後に彼の消息は絶たれており、そこで没した事はほぼ間違いないとの事だった。あの日、城塞で何が起きたか、正確なことは伝わっていない。ただ、からがら逃げた人たちの証言を接ぎ穂のようにつなぎ合わせた情報しか残っていない。屍者が突然起き上がり、城は陥落した。その日を境に、世界中で屍者が起き上がり始めた。覇王の呪いが世界を支配し始めた契機になった日として、”ブラストフォートの悲劇”は語り継がれた。

 スヴェン博士こそ所在は不明だったが、彼から託され城塞から持ち出された時空間研究の資料は、既に完成されたものだった。同輩の研究者たちは、その資料を元に研究を進めた。時間遡行技術は間もなく実用化され、多くの時間遡行実験が行われ、それらを最大限利用したのが、今回、私達が試みた大規模な時間遡行だった。

 事前に、猟犬の存在は察知していた。

 スヴェン博士の死から数年後、彼の資料を元に時間遡行実験を成した最初の研究者でありフィリップの師事したナイジェル氏が変死した。異臭の満ちた密室の研究室の中で、まるでしなびた蛹のように枯れて転がっていた。以後、幾人かの時間遡行実験を試みた者が相次いで同様の死を遂げ、フィリップは”時間遡行者を狙う未知の存在”を危惧していた。

 帰ってきたフィリップは、その事も知らないと答えた。彼の知っているスヴェン博士は、侵攻の直前、今からおよそ20数年前に病死したと聞いている、との事だった。この点も、時間遡行がもたらした歴史の変化だろうか。

 何故、異なる記憶を持つ、所謂『旧史フィリップ』が帰還してきたのか。フィリップの言葉を借りるなら、元いた同じ未来には戻ることが出来ないのではないだろうか。過去に戻って、過去を変えた結果、未来が変わり、過去に戻った者は変えられた後の未来に帰り着くのではないか。先行研究も少なく、実験に成功した者はナイジェル氏をはじめ、皆死んでいた。また、50年という長い時間を遡った前例もこれまでなかった。ただ、そうした先人達もまた、『旧史フィリップ』のように、戻ったことで改変された未来の地点に戻っていたのではないだろうか。ただ、遡行する時間が数分や数時間程度では、変わった事実など些細なものだったから、確認できなかっただけなのかもしれない。

『時間遡行を試みる』以前、私達は記憶のすべてを共有していたとフィリップは語った。時間遡行まではふたりとも同じ歴史の上に立っていたのに、遡行した先、ブラストフォートを起点に歴史は変化して、私は『新しい歴史の上に立つグレーテル』になったのか。旧史から遡行したフィリップだけが、新しい歴史に取り残されたのか。

 そして、『私が見送ったフィリップ』が、遡行した先でまたさらに歴史を変えてしまうのではないか? そのフィリップを、今度はまた変えられた歴史の上に立った私が、待ち受けているのではないか?

 彼が遡行して起きたことはすなわち、覇王の呪いの伝染ではないか。『旧史フィリップ』は成人頃、つまり20数年ほど前に、覇王の侵攻が始まったとしている。その呪いが、ブラストフォートに遡行したフィリップを媒介として伝染したと考えたら、この歴史の変化も説明がつくのではないか。

 屍者の呪いは伝染する。生者を介しても伝染する。

 一体何者が時間遡行者の命を奪っていたのか、一連の時間遡行を経て、そのひとつの回答を得られた事は、少なくとも後世にとっての収穫だったと言えるかもしれない。時間遡行者の前に現れ襲いかかる猟犬の存在、それは、歴史改変とはまた違った形で、時間遡行を試みる者の障害として立ちふさがるだろう。

 これ以上、時間遡行をしてはならない。呪いは振りまかれ、古い時代に戻れば戻った分だけ呪いの始まりも遡ってしまい、人類を苦しめることになる。現状の打開策にはならない。

 それが、私達ふたりが出した結論だった。

 私は帰ってきたフィリップを別人だと感じたが、それはフィリップからしても同じことだったのだと思う。姿こそ共通点はあるものの、お互いが知るお互いとはそれぞれ違う人間になってしまっていた。けれど、私のよく知るフィリップも、きっと、今の私とはまた別の私と出会って、同じ重荷を背負っている事だろう。生き抜くためにとふたりで選んだはずの手段が、ふたりを引き離すことになろうとは、ふたりとも想像もしていなかった。

 いいえ、もしかしたら、あえて目を逸らそうとしたのかもしれない。

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 フィリップは姿を消した。

 帰還後、お互いこれまでのように一緒に戦おう、という気持ちには、ふたりともなれなかったように思う。それほどまでに、お互いが全く相容れない異なる存在に変わり果ててしまっていたように思う。少なくとも私は、帰ってきた彼と同じものを目指すことはできなかった。

 彼は何も言わずに私の元を去った。何を思ったのか、その全てを言葉にはしなかったが、少なくともひとつだけ、「もう過去に戻ってはならない」という言葉だけは、今でも私の心に深く刻まれている。

 あれからどれだけの時間が経っても、異臭を伴う化け物は、私の目の前に現れていない。スヴェン博士やフィリップやほかの研究者と違い、私自身は時間遡行を行ってはいない。今でも猟犬はフィリップを追っているのだろうか。彼はまだ生きているのだろうか。それはもうわからない。共にいれば私までその歯牙にかけられると、考えたのかもしれないが、定かではない。

 ただ、たとえもう一度そのための手段を与えられたとしても、私はもう絶対に、過去に戻る事はないだろう。

 我々は過去へ戻ってはならない。

 これは確固たる事実だ。私の知っているフィリップがどうなったかは分からない。互いにそうだろう。私のところに帰ってきたフィリップの知っていた私は、未だにここと同じ場所で、戻ることのないフィリップを待ち続けているのだろうか。それとも、同じようにどこかの未来から来たフィリップが飛んできているのだろうか。

 今を、覇王の呪いの中で生きる我々には、もう時間遡行をする選択肢はありえない。時間遡行の方法はもう、この世から消し去らなくてはならない。あなたがこの手記に辿り着いたということは、恐らく私たちと同じことを考え、解決を過去に求めたのだろう。

 だが、すぐに中止して欲しい。絶対にそれはやってはならない、最悪手だ。

 たとえ誰であろうと、過去に戻るだけで、この世界に満ちた呪いをその時代に持ち込むことになるのだ。

 この時代のおよそすべての人間は古代の呪いを受けており、覇王の影響は消えることはないのだ。

 打開策を過去に求めたのは、結果として、愚行だった。屍体さえふんだんに手に入ればどうにかなると近視眼的に考えていた。事態はそこまで簡単ではない。あなたは私達のように愚かにならず、もっと別の方法で生き抜いてほしい。私達のように、短絡的な行動で歴史に致命的な綻びを与えてはならない。

 戦いの中で疲弊し、資源は尽きていくかもしれない。それでも、行動する前に、よく考えて欲しい。その行動がどのような結果をもたらすか、それは本当に未来にとってマイナスになる事がないのか、考えて行動して欲しい。

 私は、この世界のどこかで、同じように時間遡行を試みる者たちを止めるために、今回のことを伝えていく。石を投げられることもあるだろうが、必要なことだ。私は真実を知った者として、伝えていかなければならない。世界を少しでも永らえさせるために、自分に出来ることを探していかねば。

 この生が終わるまで。

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~おわり~

原作: ohNussy

著作: 森きいこ

ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸い

です。

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