クリス・ウォーリーは、姿を消した。
クリスは決して社交的な人物ではなかったし、町内でも影響力のある家系でもなかったが、彼の祖先達は皆、この町デイティに多額の寄付を行い、発展に貢献してきた人達であった。
彼自身もまた、積極的に外界に接触する機会が極めて少なかったにも関わらず、町への寄付は惜しまなかった。
そうした経緯から、多くの町民達は彼の失踪を悲しんだ。
たとえ疎遠ではあっても同じ町に住む者同士として、一応の仲間意識、連帯感のようなものを感じていたのである。
そうした人々の願いを他所に、彼が見つかる事はなかった。
クリスは二度と町には戻らなかった。
事件はやがて、忘れ去られていくのだろう。
いなくなった者を記憶し続ける者はいない。
いつかは忘れ去られるものである。
こうしてクリスと、彼と共に隠されていたこの町に潜む邪悪は、永遠に、闇へと葬られる事となった。
これは、屍者が這い出すよりも以前のとある街で確認された、奇妙な事件の顛末である。
「つまり、クリス氏はそのようにして、一夜にして姿を消してしまった、と…」
「そういう事です、シュンさん」
埃臭い小さな部屋で、シュンと呼ばれた異様な風体の男は、興味深そうに目を丸くして、自身の鼻先を指先でトントンと叩いていた。
隣には、椅子だった残骸の傍らで、窓際に背をもたれて話を聞いている巨躯の竜人の姿もあった。
「シュン、御託はそのくらいにして、調査に移ったらどうだ?」
竜人は苛立たしげに、目線だけは窓の外にやっている。
「ドミニクさんはせっかちだからいけない。このヤマは、そう単純ではなさそうだ。お暇なら、座ろうとして壊してしまったその椅子の残骸でも掃いたらどうです。あなたが壊したんですから」
「あぁ、お気遣いなさらず」
「しかし、カールさん…」
「そのくらいはバルトにさせますんで。バルト!」
シュンに対座したカールと呼ばれた壮年の男は、自慢の髭を撫でながら隣室に控えていた使用人を呼びつけた。
右足を引きずりながらのそのそと室内に入ってきた召使いはひょろ長く浅黒い西国風の男で、返事もせずにカールの横に歩み寄った。
カールがぼそぼそと何かを耳打ちすると、バルトは表情も変えずに戸棚を開け、箒と塵取を取り出して椅子の残骸を集め始めた。
「話が逸れましたが… それで、クリス氏は、何か手紙であったり、言付けなりは、遺されてはいなかったのですか?」
「それが、全く… お恥ずかしながら、甥がどんな暮らしをしていたか、伯父の私も、よく理解しておらず、何分遠方でね…」
「しかし、そちらのバルトさんは、クリス氏と共に生活されていたんですよね?」
「駄目です、駄目、バルトは見ての通り西の出って奴でしてね… ほとんど言葉が通じんのです。私も、ちっとはかじってみたんで、飯風呂洗濯に掃除くらいは、言ってやらせられん事もないんですが、クリスがどうしとったか、みたいな込み入った話は、どうにも聞き出せるだけの会話が、質問はできても返事の中身がわからず、って状態でして」
「そうですか… 私は生憎真逆の東からでしてね、西の言葉は全くわかりません」
「でしょう。それにしてもシュンさんは、ここらの言葉が随分と流暢ですね」
「いえいえ、こちらに来て随分経ちますから、何とかなっているだけですよ」
他愛のない談笑に、最初に音を上げたのは、竜人ドミニクであった。
「すまねぇがシュン、話が終わったら呼んでくれ。俺ァ外で風に当たってくる」
吐き捨てるように言うと、ドミニクは不機嫌そうに、しかし扉だけは丁寧に閉めて、部屋を出ていった。
部屋にはシュン、カール、バルトの3人が残される形となった。
「ったく、つきあってらんねぇぜ…」
ドミニクは街路に転がる木切れを器用に蹴り飛ばし、川に落とした。
ドミニクは賢い。
しかし、その賢さは、生きるための合理性そのものだ。
知略や戦闘に特化したものであり、人との距離を縮める場合において発揮されうるものではなかった。
「よくもまぁ、あんなおべんちゃらが次から次に出てくるもんだぜ…」
ドミニクは橋の手すりに腰掛けた。
大人の腰ほどあるそれも、竜人が座ればまるでベンチだ。
自分にはないものを持つからこそ、彼はシュンと旅を共にする決意を固めた。
シュンは、ドミニクが持たない強さをたくさん持っていた。
しかしドミニクには、憧れや、羨望はなかった。
そうした強さを、彼自身は欲していなかった。
「ま、俺には俺だけにできる事があるからな」
「それは、私にもできる事です」
突然背後から声がした。
背後?
ありえない、背後は川だ、ドミニクは驚いて立ち上がり、振り向いた。
しかし、背後には誰もいなかった。
ただ、ドミニクはそれが誰であるかを既に知っていた。
「カヲル… 変なところから声かけんのやめろってこの間も言っただろ」
「私には私のやり方がある、口出しするな」
橋の下から返事が返ってくる。
この女隠密は、事あるごとにドミニクに食って掛かってくる。
ドミニクには、未だにその理由がわからずにいた。
「それより、お前に俺と同じ事ができるなんてのは、聞き捨てがならねぇな」
「シュン様は私が守る。お前にもできる事かもしれないが、私だけでもできることだ。お前は必要ない、邪魔なだけだ」
「何だと?」
竜の眉間の深い皺が、一層険しくなる。
しかし、ドミニクは一呼吸置き、冷静に言葉を返した。
「お前がどう思おうが知った事じゃねぇ、俺にとっては大事な雇い主だ。それに、俺を雇う事を決めたのはお前の主人だ。お前は主人の決めた事に背くのか?」
返事はなかった。
しかし、明らかな鱗を刺すほどの強い怒気が足元から発せられている事を、彼には感ぜられた。
「…だから私は、あなたのような人が嫌いなんです」
小さな水音が聞こえたかと思うと、橋の縁から波紋が広がり、気配は完全に消え失せた。
「つきあってらんねぇぜ…」
ドミニクは大きなため息をつき、独り言を呟いた。
「すみませんうちのドミニクが、あれはまどろっこしい事は苦手でして」
「いえいえ、頼もしそうな護衛の方ですね。竜人とは実に珍しい」
「珍しいのはカールさんもでしょう。私らのような見るからに怪しい者に偏見もなく依頼を検討してくださるとは、やはり珍しいですよ。自分で言うのもなんですが…」
「なに、普段は海辺の方の街で貿易商をしていますから、色々な方を見慣れているだけです」
シュンとカールは、ドミニクが退室した後も変わらぬ様子で談笑を続けていた。
「話が脱線しすぎましたね… えぇと… つまり、カールさんとしては、失踪した甥のクリス氏を見つけて欲しい、と?」
「そうです。クリスは、遠く離れて暮らしてはいましたが、たった一人の家族なのです」
そう言って、カールは壁にかけられた肖像を見やった。
シュンもつられて、肖像を見る。
それは、若きクリスの姿を描いたものだった。
「まったく、心中お察しします。よろしい、お請けしましょう」
「本当ですか!」
「えぇ… 勿論、それなりの費用は頂戴しますが」
「えぇ、えぇ!構いません!家族のためなら…」
掃除を終えて棒立ちしてたバルトにカールは手振りで指示を出すと、それを受けたバルトは隣室から小さめのキャッシュケースを運んできた。
しかしシュンは、その箱に目もくれず、カールを真正面に見据えたまま右掌を差し出した。
「お代は見つけてからで結構」
「や、しかしそれでは…」
「ご心配なく。見つけますから、必ずね」
そう言うと、シュンの衣がふわりと浮いた。
そして、袖や裾から、次々と紙片が飛び出しては、舞い上がり、部屋中に飛散していく。
「こ、これは…!?」
「クリス氏はこの部屋から忽然と姿を消した、と仰られていましたね?」
「そ、そうですがこれは…」
「何の痕跡も残さずに人間が消える事などありえません。必ず何かが、この部屋に残っているでしょう」
「それを、この紙切れで…?」
「そうです。私の国ではシキガミと申します。使い魔のようなものですね。ま、詳しい話はクリス氏が見つかってからゆっくりとお話しましょう」
シュンはそう言って、立ち上がる。
紙片は彼から離れ、家中に広がっていき、やがて浮き上がっていたシュンの衣は元のシルエットを取り戻す。
それからシュンは、頭にかぶった笠に手をやると、それを軽く持ち上げて、会釈した。
「それでは少々、お時間頂戴します。シキガミが部屋を浚っている間に、私は聞き込みに行って参ります」
「…わかりました、よろしくお願い致します…」
シュンはゆっくりとした足取りで部屋を辞した。
カールはシュンを、気難しそうな表情で髭を撫でながら見送った。
デイティの町は、緩やかな斜面に沿って発展してきた。
クリス邸は町の東端に位置し、町の斜面を見下ろしていた。
その日、シュンはクリス邸を辞し、邸宅が面した街路の先に沈みゆく夕陽を家々の隙間に垣間見た。
その陽光は、長く黒々とした影を町全体に投げかけていた。
シュンの目にはそれが、まるで町を覆い尽くす、不快な影のように見えた。
夜が訪れる。
クリス・ウォーリーが姿を消したのも、このような、雲ひとつない夜だったと聞く。
シュンは襟を正し、不吉な予感を肌に感じながら、町を降りていった。
~つづく~
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸い
です。