変貌した王の暴走により、城門周辺はもはや爆心地のごとき有様であった。
大軍団の一斉砲火を受けたような惨状に、人も物も、原型を留めた存在はもはやなく、あるのは血と脂と埃にまみれ腕を振るい続ける巨人の姿だけであった。
そこから少し離れた城壁では、衝撃でできた間隙を縫って湖畔を進軍してきた軍勢が次々と城下町へと侵入し、哀れな民衆の命を次々奪っていく。
一方巨人は、破壊すべき生物の存在を手の届く範囲に認められなくなったと見るや、徐々にその牙を城下町へと向け始めた。
次々に建造物をなぎ倒し、生存者を見出しては掴み、喰らう。
その脇を、また無数の古き軍勢が疾駆し、命を奪う。
屍者達の饗宴が都市を飲み込み、全てが焼き尽くされるのは、もはや時間の問題であろう。
そして古い軍勢と双頭の巨人の前に、白い影が立ちふさがった。
大剣を引きずり、獣のように唸りながら、両足を引きずるように集団へとゆっくりと歩を進める。
その存在に気がついた屍者の軍勢は、すぐに甲冑をまとったその白い騎士の危険性を認め、数人が左右に散開すると、一斉に飛びかかった。
「守らねば…」
そう呟いた聖騎士は、襲撃者の刃がその身に達する寸前で、回転した。
白い竜巻となり、その刃で巻き込んだ襲撃者達を赤い肉切れに変え、弾き飛ばした。
周囲に鮮血の雨が降り、様子を伺っていた襲撃者達は、踵を返して、他の方向へと走り去っていった。
一方で、様子を頭上から見ていた双頭の巨人は、佇む白い影を次の標的に定めた。
振りかぶられた拳は、同調した肉体に残された、最期の記憶に重なる。
重ねられた想いが、引き裂かれるほどの悲嘆と、使命のための熱情に震える。
「守る、なにがなんでも…!」
拳が振り下ろされるよりも早く、飛び上がる。
振り上げられて露出した脇の下を通り抜け、巨人後方の民家の屋根に着地した。
振り下ろす先を失った拳は空を切って背後を振り向くが、直後脇腹が裂け開き、赤黒い液体が噴水のように噴き出して流れ落ちた。
しかし巨人は一切怯む事なく、再び拳を民家の屋根へと振り上げた。
白い影は間一髪で横に跳び一撃をかわしたが、後にした民家の赤煉瓦の屋根は、蹴り上げられた水しぶきに似た軌跡を描いて、城門の方角へと飛び散っていった。
さらに無防備な背面を弾丸のように白い影が飛び去り、背筋に横一文字の大きな裂け目が広がり、また激しく流血する。
相手は、生ける屍ではない。
血液の喪失により、徐々にだが、動きが鈍っていくのを把握できる。
自身の肉体は、四肢に力漲り、軽く靭やかに動き、世界が止まって見えるほどに感覚は研ぎ澄まされている。
あの古代の兵隊が見せた異常な膂力から立てた、Buriedbornesの術が持つ本質に対する少女の仮説は、実証されたと言える。
肉体に生まれながらに備わった魂は、その繋がりの深さ、重さ故にか、肉体に下される命令に自ずから限界が設けられている。
借り物の霊体が与える命令には、限界がない。
この肉体の持てる全ての力を100%確実に引き出し、さらに術者が持つ知識と判断能力が加わる。
生者では絶対に得る事ができない力を、全霊で振るう事ができる。
それこそが、Buriedbornesの術が持つ、最も恐るべき本質だ。
「いけるッ!!」
よろめく巨人を前に、再び跳躍する。
しかし、その跳躍は意識とは裏腹に、不十分で、力ないものになった。
柔らかく跳んだ姿は巨人に容易に見切られ、空中で鷲掴みにされる。
体に力が入らない。
この肉体ならば、振りほどく事すらできそうなものなのに、指一本動かない。
何故?
理由を思い巡らす暇もなく、振り上げられ、地面に叩きつけられる。
視界が白くもやがかかり、薄らぐ。
霊体が肉体から離れていく直前に見られる、見慣れた兆候。
動かなくなったボロ布のような肉体に、巨大な拳が迫る。
二度目の死。
それよりも前に、意識は戦場を離れた。
視界に映るのは、水。
頭部を覆う水が、視界と呼吸を遮っている。
湖に落ちたのか?
指は、動く。
足も、動くが、動かない…
腕と足に、鎖が巻き付いていて、動かせない。
指先はきつく布地のものに巻かれて、印も描けない。
苦しみから、全身をばたつかせる。
椅子に座っている?
次の瞬間、水球が弾けて落ちる。
視界に光が戻り、呼吸が戻り、むせ込む。
混濁する意識に、聞き慣れた声が響く。
「なるほど、やはり術者自身は無防備で、頭部を水球で覆えば術の阻害も可能、仮説通りだな」
「…ど、いう…」
師匠が、禁書を眺めながら部屋を歩き回っている。
見慣れた学び舎。
私が描いた、魔法陣。
しかし、状況が変わっている。
私自身が、今は魔法陣の中心にいる。
手足は椅子に鎖で拘束され、指先が包帯で固く封じられている。
魔法陣の外には、使い魔達が、無残な姿で横たわっている。
神経を研ぎ澄ましても、声が聞こえない。
近くにいる使い魔はみんな、命を奪われたのか。
「全く、何をしているというのだ。所詮はガキ、という事か…」
「どういう事ですか、師匠、これは!?」
眉間に皺を寄せ、視線を手元の書から私の目に向き直す。
「憑いた肉体の記憶に同調して感化される等、天才と畏れられた神童でも子供は子供という事だ」
「このままでは、この街が…!」
そうだ。
人々が、死んでいく。
守るべき者達が、待っているというのに。
「それが子供だと言っているのだ。我々学術の使徒たる魔導師達が求めるものは、なんだ?」
子供…
そう、私は、誰だ?
私は…
「…『知の探求』」
私は、魔女。
美しい情景を守るために剣を取り、そして命を落とした聖騎士は、私ではない。
私の心は、あの女の中に溶けて… ひとつに、なったのか?
「そうだ。我々がなすべき事は、人助けでもなければ、活用でもない。探求こそが魔導師の本質なのだ」
そうだ。
探求、それだけのために、生きてきた。
知識と真実のためなら、何を犠牲にしても構わない、そう思っていた。
信じていた、先刻まで。
「でも、でも…」
知ってしまったんだ!
美しい情景、人々の営み、愛すべき人々、誰かに必要とされる事の尊さ。
知らなかったんだ、こんな世界が、あったなんて…
地べたを這いずって、悪魔の子として蔑まれ、石を投げられて、誰にも見向きもされない、私。
世界に価値なんてない、その裏側に潜むものを追う事、それだけに価値があると、信じていたのに。
「そう、まだ終わりにはできない。さらなる探求のためにも、ここで死ぬわけにはいかぬ。だが、私は些か歳を取りすぎた…」
「何の話?」
そうだ、死ぬわけには、いかない。
愛すべき者達を、助けるまでは… …?
この想いは、本当に私のものなの?
あの聖騎士の肉体に霊体が溶け合って、あの聖騎士の想いは、私の想いになった。
借り物の思い出、私とアイツは、別人だ。
それでも、この頬を伝う涙は、何だ?
辛くて、悲しくて、悔しくて、胸が裂けそう。
みんなを守らなきゃって、本気で思ってる。
借り物でも、今のこの胸に宿る熱い気持ちは、本物なんだ。
「肉体に手を加え力をもたらす方法は、どうあっても副作用が伴った。あの王達のように、正常な精神を維持する事すらままならぬ」
「…師匠?」
黒幕?
いや、おそらくは、師匠も手を打った、それだけだったのだろう。
屍者の軍勢に抗う術を、別の手順で。
つい先程までの私なら、そういう手段もあったわね、そんなそっけない返事ひとつで、賛同してみせたのだろう。
ただ、どうしてだろう。
今の私は、たまらなく、目の前のこの男が、憎い。
皆を欺いて、裏切った、この男が… 憎い。
「だが、唯一… その知を、魂や霊体を、そのままに健全な肉体に移し替え続ける事が出来るのなら、それこそが私の求めた”永遠”そのものであると言える」
独り言のようにつぶやきながら、私の方に歩み寄る。
しわくちゃで汚らわしい手を伸ばし、私の頬に手を触れる。
「類稀なる脳髄、そして美しくしなやかなこの、に、肉体…」
しゃがみ込み、私の太ももに指先を這わし、醜怪な貌に恍惚な笑みを浮かべる。
背筋に怖気が走り、全身を鳥肌が覆う。
嫌だ。
絶対に嫌だ!
神経を集中する。
逃げなきゃ、どうにかして、ここから…
残された方法が、どこかにあるはず…
「お前の全てを、私が、いただいてやろう… お前が見出した、この術でな」
「この… 外道がッ!!」
「外道は貴様だ、魔導師の本懐を失ったガキめが!!まぁいい、話はここまでだ。その象牙のような白い肌に、傷一つつけぬよう、丁寧に殺してやろう…」
「離せ、離してぇえ!!イヤァァアア」
「無駄、無駄だよ、研究棟にいる使い魔は全て殺したし、建物には結界を張った」
師匠は詠唱を始めた。
勿論、知っている。
天才だし、あらゆる術を、暗記しているから。
この呪文は、暗殺のための、音もなく、心臓を止める呪文、死印《デスワード》。
対象に手を触れる必要があるが、証拠が残らない、確実な手段。
或いは、解剖研究のために、一切の外的影響を残さずに対象の命を奪うためのもの。
あくまで美しい私の屍体を、手に入れるための手段を選ぶつもりか。
「やっ… 嫌!死にたく、死にたくな…」
「大人しくしろ、苦しまぬようにしてやるのだから…」
でも、その手段を選ぶ所が、命取りになるんだから。
師匠は私の事を、やっぱり、わかっちゃいなかった。
私が、実践派だって事を。
恐怖する演技だって、やってみせる事を。
轟音が鳴り響き、地鳴りが猛烈な勢いで増す。
暴れる私に気を取られて、反応するのが一瞬遅れたな。
ざまぁ見ろ。
師匠が振り返るよりも早く、爆発音と共に壁面の煉瓦が弾け飛び、青く膨れた肌が一瞬だけ目に映った。
双頭の巨人の肉体がまるごと研究棟に躍り込み、結界のための置石、書物、雑貨、使い魔の屍体、家具、師匠、そして私を巻き込み、吹き飛ばした。
何もかもが湖面へと吹き飛ばされ、落ち、沈んだ。
目を開くと、遥か頭上に水面が見える。
少しずつ体が底へ底へと沈んでいき、水面が離れていく。
地上に、戻らねば…
水中では、呪文は詠唱できない。
印を結ぶ術は?
指が動かない。
包帯と鎖が、きつく巻かれたままだった。
それに、巨人が飛び込んできた衝撃で、全身のあちこちで骨が折れていて、身じろぎすらも満足にできない。
操作していた使い魔達との繋がりも途絶えた。
この深い湖底からでは、もはやどこにいる使い魔にも、霊体は届かないだろう。
万策、尽きたのか。
私、こんなところで、死ぬのかな?
こんな事のために、生まれてきたのかな…
自分のために、生きてきた。
私を迫害してきた連中なんか、知った事か。
「お前だけにできる事がある」。
師匠のその言葉を、信じたかった。
知の探求の先で、私はきっと満足できると、思ってた。
幸せになれるって…
でも、それは、ちょっと違ったみたい。
嗚呼…
あの人の中、気持ちよかったなぁ…
穏やかで、きれいで、あたたかい思い出。
私のなんかとはまるで違う、大切にしなきゃって思いたくなるような、素敵な思い出…
誰かに必要とされてるって実感が、こんなに、嬉しいんだ。
愛する人達がいなくなる事って、こんなに、辛いんだ。
まるで、ずっとずっと昔から今の今まで、私自身が抱えてきたものみたいに、色んな想いが私の中を駆け巡る。
私のこころを、照らしてくれる。
多分私はこのまま、この湖の底で、鎖に繋がれたまま、孤独に死ぬだろう。
それでもまだ、私はきっと、貴女(ワタシ)と一緒に逝けるだけ、幸せなのかもしれない。
独りじゃないから、幸せだよって、笑って死ねるのかもしれない。
意識がなくなる直前に、そんな事を考えた。
数少ない目撃者は、数羽のカラスが双頭巨人の肉を啄み、湖面へとおびき寄せる様子を確認している。
研究棟もろとも双頭の巨人は湖中へと沈み、その後、浮かんでくる事はなかった。
それらのカラス達はしばらくの間、様子を見るように湖上を旋回していたが、やがて方々へと飛び去っていった。
街に溢れかえる古代の軍勢は、全てを殺し破壊し尽し、そして生きた者の影が見えなくなると、城壁を越え、どこへかと帰っていった。
風は燃え盛る炎を巻き上げ、降り出した雨にかき消され、街には静寂が訪れた。
犠牲者達は、次第にこの地に降り掛かった呪いを受け、互いを貪るだけの存在になって目を覚ますだろう。
湖底には、今でも美しい少女が、呪いの影響を受ける事なく眠り続けているのだろうか。
或いは、心なき者の目に止まり、新たな忌まわしい魂を受け入れたのだろうか。
伝え聞いた者は、いない。
生きて真実を目撃した者も、もういないのだから。
この国は、こうして一夜にして地上から姿を消した。
これらの一連の出来事を皮切りに、世界の各地で次々と地中から”屍者の軍勢”が現れ、無数の文明を飲み込んでいった。
戦争と滅びの波は、まるで手のつけようのなくなった末期患者の病魔のように、遅々としながらも着実に、世界全体へ進行していった。
状況を察知した国々は、覇権争いを止め、互いに協力し、この軍勢に抗ったが、例外なく失敗に終わった。
無数の英雄達が死に、それ以上に多くの人々が死んだ。
勿論、全ての命が奪われたわけではない。
かの僧侶のように、己の無力を悔いながら、死地を生き延び人里を離れた場所で隠れ暮らしている者も少なくない。
しかし、残された何の力も持たない人々は、互いに寄り集まりながら、いつかこの軍勢に見つかり、その仲間入りする日を待つためだけに、そのか細い日々を送っている。
たとえ力ある者であっても、いつか力尽きる未来から逃がれ続けながら、この絶望の日々がそれよりも前に途切れる可能性を夢想し、永らえている。
そして、この呪いの真実にたどり着いた者達は、希望の最後の光を求めて闇に向かい、今日も戦い続けている。
そしてその誰もに例外なく、果てに終焉が待ち受けているのだろう。
地中から沸き続ける屍者の群れは、今でもとどまる事なく増え続けている。
地上に生きた英雄達も、次々に生き延びた術者の手によって、この戦争に駆り出されていく。
仮にこの地上から全ての生者がいなくなったとしても、戦争は終わらない、と言う者もいる。
屍者だけになった後でも、屍者が屍者を喰らう世界が待っているだけだ、と…
最も古く、忌まわしい予言は、現実のものとなった。
かくして、”Buriedbornes”同士の救いも終わりもない戦いが始まった。
~おわり~
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸い
です。