雲が速い。
連日続く嵐は、テオドールにとって苛立ちを募らせるものであり、テレーズにとっては残されたチャンスであった。
領主屋敷の敷地内に停められたままの荷馬車は、いつでも出発できる準備が整っている。
だが、荒天の中、舗装された道路もない遠方の地に向けて車を走らせる事は、自殺行為に限りなく近い賭けでもあった。
そして、テオドールにとって『家系の存続』を一か八かの賭けに託す事など、言語道断であった。
「忌々しい雨雲め…」
窓から空を眺め、行き場のない恨み言をつぶやく。
「父上、これは天運です。留まるべく理由があるが故に、留まる運命にあるのでしょう」
豪奢なソファに腰掛けうつむくテレーズは、一点を見つめたまま語る。
「天など… 我々を守るものは我々の祖先だけだ、これまでも、これからも」
言葉はお互いに行き違うばかりで、決してお互いの心に直接届く事はない。
どうしてこんな事になってしまったのか。
聡明で強固な意志を持った父上の精神が、これほど容易く脆く崩れてしまうとは。
『家系の存続』も、栄光と名誉があってこそだ。
ただ生きれば良いなんてものではない、惨めに永らえて、何の意味がある?
今こそ、私自身が戦うべきときだ。
テレーズは、静かな物腰とは裏腹に、その心のうちは情熱と責任感で燃えていた。
甲冑の音と、諍いらしき物音が階下から響いてきた。
「どうした?」
テオドールは駆け込んできた衛兵に苛立たしげな表情を見せた。
「きゃ、客人を名乗る、その、怪物が…」
応接間に、緊張が走った。
連日続く殺人は、人とは思えぬ残虐な犯行現場が確認されている。
その”怪物”では?
だが、テレーズは落ち着き払った様子で立ち上がり、衛兵をなだめた。
「大丈夫だ、問題ない。その客人は、私が呼んだ者だ。ここにお連れして」
「どういう事だ、テレーズ!」
怒声が響く。
しかし、微笑を浮かべたまま、テレーズは実父に対して冷ややかに言い放つ。
「この事態を収めてくれる、用心棒ですよ。なに、私のポケットマネーで、嵐が止むまでなら父上も構わないでしょう」
その微笑は、冷笑だ。
テオドールは怒りに打ち震えているが、返す言葉を持たなかった。
「私の部屋には、誰も通すなよ!」
そのまま、寝室に引きこもってしまった。
テレーズは衛兵の肩を優しく叩き頷いてみせて、客人を迎えに行くよう促した。
「いやぁ、お招きにあずかり、恐悦至極…」
異常なほどの巨躯が、頭を降ろして扉をくぐり入室する。
常人であれば、衛兵達と同様にその巨体と竜頭を目の当たりにして、動揺か恐怖を隠せなくなるものなのだろう。
だが、貴人には貴人の持つべき器量と胆力というものがある。
「御託は結構。すぐに仕事の話を始めよう」
テレーズは視線を合わせずに、応接間のローテーブルに紙の束を放り、ソファに座るように催促する。
しかし、この竜頭の男もまた、こうした相手との仕事を幾度も請けてきたプロフェッショナルであり、依頼人の姿勢に従うだけの柔軟性を持ち合わせていた。
ソファにその巨体を沈めると、紙の束を手にとって背もたれにもたれながら手早くページを手繰っていった。
「連続殺人ですか… 犯人の見当は?」
「ついていない。だが、相手は人間を紙切れのように裂く怪物だ。戦闘の専門家が必要だった」
「なるほど、それで私ですか。確かに、無差別に仕掛けてくる相手なら、私は適任ですな…」
竜人は握りこぶしを作ってみせる。
繊維を引き絞るような鈍い音と共に、手袋ごしでも見えるほどに血管が浮き出る。
「そういう事だ。あとは、どうやって問題の怪物を見つけるか、だが…」
「そうですな。”嵐の夜に現れる”事まではわかっておいでのようだが、場所や被害者の共通点や法則性も見られない、と」
テレーズは腕組みをして黙っている。
「さすがの私でも、眼の前にいない相手を殺る事はできない。私は傭兵であって、探偵ではないのですからな」
「私は探偵ですよ」
テレーズはぎょっとして目線を上げた。
唐突な発言の主は、いつからそこにいたのか?
竜人の巨体の陰に、まるで最初からいたかのように座っている男がいる。
見慣れぬ倭装に、笠をかぶり、顔は見えない。
傍らに錫杖を添えて、まるで依頼された傭兵の片割れのように、そこにさも当然といった風で座っていた。
次の瞬間、竜人が身を捻り、ソファごと男の頭蓋を上から殴り抜け、砕いた。
確かな手応えがあったと感じたはずだったが、飛び散ったものはソファを構成していた木片と綿だけだ。
左右に目線を向けるが、姿はない。
ソファがあった場所に視線を戻すと、そこには手のひらほどの大きさの紙片が落ちていた。
「残念、それではありません」
二人が振り返ると、先程の男が、今度は応接間の入り口の扉の側で、壁に背をもたれながら立っている。
「お前は一体…」
テレーズが指差すのとほぼ同時に、その指の先を竜人の巨躯が走り抜けていった。
まるで砲弾のごとく、竜人の体が男を巻き込んで壁に突き刺さり、その周囲の壁面が爆散し、扉の隣にもう一つの出口が出来上がった。
だが、またもや、手応えはあったのに姿がない。
木片や漆喰の欠片に混じって、同じ形をした紙片が落ちている。
「はずれです、そちらでもないんですよ」
今度は窓の側だ。
竜人は鞘から二本の剣を引き抜き、構えたが、今度は突撃しない。
爆音を聞きつけた衛兵達が2,3名、ドタドタと乱雑に足音を立てて応接間の前に集まってくる。
「お前達、何をやって…」
テレーズが言いかけるが早いか、窓際の男が手のひらを合わせてパンと叩くと、駆け上がってきた衛兵達の姿がまるでシャボン玉のように弾けて消えた。
彼らのいた場所に、ひらひらと紙片が、衛兵の人数と同じ数だけ、舞い落ちた。
「ご安心を、本物の皆さんには、眠っていただいているだけですから」
ニヤニヤと笑いながら、男はテレーズに向かってお辞儀をする。
「お初にお目にかかります、テレーズ様、それとドミニク様も。私はシュンと申します」
呆気に取られたテレーズは、竜人ドミニクに目をやる。
ドミニクは深い溜め息を1回つくと、テレーズの目を見て頷いた。
それを受けてテレーズは、咳払いをしてから、質問を始めた。
「お前は何者だ?何のために、ここに来た?」
「言ったでしょう、私は探偵です。お困りの方のために、人を探したり、素行調査をしたり… 誰が誰を殺したかを、調べたりもしています」
シュンの口元がにたりと歪む。
「仕事を請けたのは俺だ、横取りか?」
ドミニクが一歩前に出る。
「おっと、それ以上…」
「どうせそれも紙切れだろう、臆病者が。本体は、外か?」
シュンは一瞬目を丸くしたが、すぐに笑って頷く。
「私の仕事は探す事。あなたの仕事は殺す事。それぞれ畑が違いますから、それぞれの仕事をすれば如何ですか」
そう言って、テレーズに向き直る。
テレーズは、何か言いたげに口を開きかけたが、やがて思い直し、再び口を開いた。
「…なるほど、売り込みか。実力は十分に見せてもらったな。私の知り合いの術師でも、これほどの奴は一人もいないよ… 文句なしだ。報酬は、彼と同額でいいか?」
「えぇ、流石は名家の御曹司、お金の使い所を心得ていらっしゃる」
シュンはソファのあった場所へ歩み寄り、かがみ込んで、散乱した紙片のうちの1枚を指先で触れた。
すると、散らばってバラバラになっていた紙片が独りでに動き出し、集まって、再び元の紙の束になって、男の手元にひらりと収まった。
その様子を見ながら、竜人も一呼吸置いて剣を収める。
ページを手繰りながら、自身の鼻先を指先でトントンと叩いている。
これは、シュンが熟考している時に見られる癖であるが、二人はそのことを知らない。
「1日に多い日は5,6人も、ですか… 」
「あぁ。最初はカルトの組織的な犯行も噂されたが、死体の状態がアレだからな」
「”人を装った”怪物の犯行であろう、とありますね?」
「翌日、一家惨殺された死体が見つかった家から夜のうちに出てきた人影を目撃した者がいる」
「良いですね、その方の所在を教えてください、後で伺いましょう」
シュンは熱心にページを手繰り続け、やがてそれをローテーブルに戻した。
「大体わかりました」
「人間に擬態する魔物の心当たりはあるのか?」
ドミニクが質問する。
「擬態する奴は少なくないですが、このケースは殺し方が妙ですね。擬態するような奴は、力は弱いものなんです。だから騙す。力があれば、騙す必要なんてないんです」
「それもそうだな」
「ただ、着眼点はとても良いですね。犯人が何のモンスターであるかがわかれば、対策も容易になります」
「ま、俺は相手が何であっても、見つけ次第叩き潰すだけだがな…」
ドミニクはテレーズの側のソファに座り直す。
「お前が見つけてくるんなら、俺はそれを待たせてもらう事にするぜ。構わんだろう?テレーズ坊ちゃん」
テレーズに、選択の余地はなかった。
一癖も二癖もある面々ではあるが、それぞれの実力は、疑いようもなかった。
「結果が伴うならば、それで構わん」
それを聞くが早いか、目の前にいたシュンの姿が、またシャボン玉のようにはじけて消えた。
その後には、ひらひらと人型の紙片が舞っていた。
「新しいソファを、注文しないといけないな…」
~つづく~
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸い
です。