第26話 『ある術者の1日 (2) – “昼の陽光”』 One day of a necromer chapter 2 – “Daytime sunshine”

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ダレンが過去を思い出す時、それは必ずどこか甘い痛みと胸が張り裂けんばかりの後悔が込み上げる。

今よりも以前、ダレンもヘルマンも、彼らより少しだけ年少のマルクも、――そしてエミリアもいた頃の事。

まだ破滅の序曲に気付いていたものが少なかった時代、ダレンたちも幸福な少年時代を送っていた。

今とはあまりにも状況が違った。屍者は跋扈せず、街は色に溢れ、活気に満ちていた。

ダレンのように親が殺されて孤児院に迎えられた者は、まだ幸福だった。ダレンの孤児院は特に待遇がよく、両親が健在ではあったが貧しい生活を強いられてきたころに比べれば、圧倒的に生活の質は上がった。

それでも両親が無残に殺された光景は薄れることがなく、ダレンは周囲に中々馴染めなかった。周囲も『運が悪い可哀相な子供』とダレンが自分で立ち直るのをゆっくりと見守り、ダレンに様々な書を通じて知識を与えることにした。

その閉じた心を開いたのが、エミリアだった。

「ねぇ、何を読んでるの?」

同じ年頃の子供と離れた木陰で大判の古書を読むダレンが、物珍しく、もしくは奇異に見えたのかもしれない。

柔らかな日差しを背負ったエミリアはきらきらと清廉に輝き、初めてダレンは天使を見たと思った。

「医療、魔術……?」

ぽかんとエミリアを見上げていたばかりだったダレンの手元を、エミリアが覗き込んだ。

医療魔術。

その言葉を読み上げられて、ダレンの頬に朱が差した。

ダレンを襲った悲劇を知らぬ者は街にはいないだろう。エミリアの穏やかな表情が一瞬曇ってしまう。

「その本難しい?」

「え……」

「教えて。私も知りたいわ」

エミリアがダレンといるのを見て、ヘルマンとマルクも近づいてきた。元は同じ学校で席を並べる友だ。打ち解ければ、距離が縮む時間もそれほどにかからなかった。


ほどなく、図書館籠もりの小さな4人組の事は、そこを出入りする者であれば、知らない者はいなくなった。

かつてダレンは、両親を亡くしても感情を表に出さなかった。衝撃が大き過ぎてどうしていいか分からず、徐々に不感になることで耐える技術を持ったダレンを、まだ若かった学友たちは不気味に感じて避けていただけで、心底忌避していた訳ではなかった。

そんな彼らの友情を深める契機になったものが、『医療魔術』だった。

新しい文献やもう忘れ去られた術法を見つけ出すのは、いつも決まって古い図書館。

ヘルマンとダレンが医療魔術の技術を語り、マルクが新しい本を探してくる。ああでもないこうでもないと語り、魔術を試した日々。

刺激的で、自分の境遇を忘れていられた唯一の時間だった。

その記憶を振り返る度、エミリアの慈悲深く愛らしい天使のような、清純な笑顔が一番に思い出される。

ダレンを救ったのは、ヘルマンやマルクへの友情と、エミリアへの淡い、その年頃に似合いの初恋だった。

目が合うとエミリアは、きょとんと目を丸めてからふわりと微笑む。その軽やかな笑みを見る度、胸がときめいた。

4人で一緒にいながら、全員がエミリアを中心に傍にいたことに気付かない訳がない。

全員にとってもエミリアは救いの天使だった。彼女がいたからこそ繋がり合い、喧嘩をしても仲裁役を必ずしてくれた。

だが、ダレンは誰よりも知っていたはずだった。幸福は突然、音もなく崩れ去るものだと。

永遠に続くように思える日々こそ、もろく蜃気楼のようなものなのだ、と。


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瓦礫の隙間に、震え身を隠す男の姿を、屍者の軍勢が見出す事はついになかった。

唐突に訪れた世界の崩壊の日。街に溢れかえる屍者達とおぞましい死臭。

誰もが必死で逃げ惑った。古い予言を知るものも、知らないものも、老人も赤ん坊も屍者の前では平等に無力だった。

何が生死を分けたのか、ダレンは今でも分からない。

ただ、混乱が収まった時のことは鮮明に覚えている。

エミリアが寝ていたのだ。混乱の収まった街の片隅、かつてダレンにはじめて話しかけてくれたあの大きな木の下で、エミリアは目を伏せていた。

まるで、眠っているように。

もう大丈夫だと声をかけようとして、その異変にダレンは凍り付いた。

エミリアの体の下、ドレスを染め抜く赤い色。

どうして、自分は逃げ回ることしか出来なかったのか。自分よりもか弱いエミリアを探すべきだったのではないか。もう何も感じまいと思っていた凍った心が強く震えた。

「エミリア……? エミリア……何故……何故だ……」

触れたエミリアの頬は氷のように冷たかった。

人目を憚らずエミリアを抱き締めることが出来たのは、彼女が冷たい骸になってからだった。

「ダレン、汚れてしまうぞ」

ヘルマンがダレンの肩を叩いたが、エミリアを離すことが出来ない。

「このままじゃエミリアが可哀相だ、ちゃんと弔ってあげよう。そうして、僕達も逃げなくちゃ。きっとまた屍者が戻ってくる。あいつらが僕らを今度は八つ裂きにするんだ」

マルクは呪いのようにぶつぶつと繰り返す。

エミリアを抱えて、陥落した街から逃げた。エミリアを埋葬するための、そして安全に隠れられる場所を探して。

どういう経緯でこの墓地の近くの古びた小屋に辿り着いたのかは覚えていない。それでも、いつの間にか見つけた小屋で、倒れ込むようにして眠ってしまっていた。

夢さえ見ないような深い眠りから覚めても、エミリアは目覚めなかった。


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世界が崩壊し、エミリアの魂がダレン達の前から去っても、朝は同じようにやってきて、ダレン達を無情にも照らしていた。

血の気の失せたエミリアを前に呆然としていたダレンの視界に、そっと影が落ちる。

「いつまでもこうしていられない」

マルクだった。

「……埋めよう」

「なら、このままじゃ可哀相だ、綺麗にしてあげよう」

「綺麗に……?」

「この辺りに壊死患部を腐敗から守るのに使ってた野草が生えてる」

気付けばマルクが腕にたくさんの野草を抱えていた。動く気配のないダレンを傍目に、マルクが黙々と手を血に汚しながらエミリアを綺麗にしていく。

「すまない、マルク」

「別に。このままエミリアが変わるのなんて見たくないって気持ちは同じなだけ」

このまま、エミリアは眠り続ける、終わりのない時の中を。

全員が無表情で、学んだ医術や医療魔術の知識を使い、エミリアのために時を止める処置をする。

朽ち果ててしまう運命を否定したかった。

「墓標には何を刻もう」

ヘルマンの声は強張っている。

「……美しいひと」

ダレンはそれだけを呟いて、墓標にそう刻んだ。

マルクは頷くと、黙って見つめていた。ヘルマンは、俯いて、肩を震わせていた。

エミリアは美しかった。その姿も心も。これ以上理想的な言葉は見つけられないとさえ思った。


その後、この土地の前の主が遺した冒涜の記録に触れ、俺達の戦いは始まった。


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窓から差し込む月明かりがマルクの顔の半面を照らし、妖しい眼光を煌めかせる。

ダレンの目の前には6本の腕を持った奇怪な男の解剖図が、ずいと眼前に押し出された。

視界を塞ぐその解剖図は、正直吐き気を催すほどだ。

「やめろ。何のつもりだ」

「だから、これだ。屍体に他の屍体を繋いで強化するんだ! この解剖図は昔の技術が描かれてる! よく見て!」

興奮した様子でマルクは繰り返し、解剖図をバンバンと叩いた。

「何を言ってるか分かってるのか?」

「分かってるさ」

「ならそんなものはしまって忘れろ。もうこんなに遅いんだぞ」

ダレンが本を押しのけると、マルクはきょとんと目を丸くしていた。

「ダレンこそ分かってる?」

「マルク。落ち着け、新しい技術を見つけて興奮するのは分かるが、現実的じゃないだろ」

「これ以上に現実的な事、今他にあると思う?」

マルクの目は妖しく光ったままだ。

「だって、分かってるよね。このままじゃ僕達は全員死ぬ。しかも飢えながら、いつ襲われるか怯え続けてね」

「止せ」

「止さない。思考停止は悪だ」

「マルク」

マルクがダレンの腕を掴む。その強さにダレンはぐっと眉根を寄せた。

ここまで頑なだっただろうか、マルクは。

「昔の文献があっただけじゃ、実際に可能かなんて分からないだろ」

「かなり詳しい方法が乗ってるんだ、きっと出来る。僕達なら。医療魔術も使えるし、実際に屍体をコントロールする事だって出来てる」

「おい。落ち着いてくれ」

「ダレン。これはチャンスだ。このタイミングでこんな記述が見つかるなんて、まだ神様は僕達を見捨ててないってことだ」

本の記述を熱心に読み耽るマルクは、ダレンを見ずに続ける。

「可能だ。これは可能なんだ、弱い素材でも強化することが出来る。今まで雑兵を使ってたから負けてどんどんじり貧になって来たけど、今度は違う。限りある素材を補い合って長く戦える」

「今でもBuriedbornesを使ってるだろ」

Buriedbornesも魔の契約だ。ダレンがいなければ、マルクとヘルマンだけでは精神破綻を起こして、既にこの生活を維持することは叶わなかったはずだ。

それほどまでに危険な魔の契約に手を染めているのに、更に先へと進もうというのか。ダレンはマルクの提案に頷く事が出来なかった。

「もう既に倫理は死んだ」

マルクはにやりと笑う。

「そうじゃないか、ダレン。僕達はもう墓を掘り起こして、屍体を使ってる。今更何を取り繕う必要があるんだ。それに逃げ延びた場所にこの本があることは導きだと思わない?」

「エミリアがこんなことを望むか!?」

「なら、エミリアがいても、この方法を試さずに彼女を死なせるの?」

マルクの言葉は鋭いナイフのようにダレンの首にピタリと張り付いた。

心臓がバクンと大きく鼓動を打つ。

もしも、エミリアがここにいて、自分はエミリアのために清廉でいることと、エミリアを生かすために禁忌を冒すことのどちらを選ぶだろう。

エミリア。

美しい天使。

「ダレン。ダレンがいなかったら、僕がいくらBuriedbornesの術を完成させても生き延びられなかった。それは間違いない。だからこそ、これも神の導きだと僕は思う」

「マルク……」

「そして、ここでこの技術を知った。これは導きじゃないのか? もう既に墓を暴いた僕達が何を恐れるんだ?」

もう既に墓を暴いた。

そのことは仕方ないとダレンも割り切っていた筈だった。屍者に生身で勝てる術をダレン達の誰も持っていなかった。まだ医療魔術やBuriedbornesを知っていただけ、恵まれているのだ。

「墓を暴くのことと、屍体に手をかけるのは違うことだ」

「同じだ。その兵士の家族からしたら、どっちも同じくらいおぞましいことだ」

「でも、生き延びるためだった!」

「なら、何を悩むことがあるの。出来ることが見つかったっていうのに」

廊下から物音がし、燭台を手にしたヘルマンがマルクの部屋に顔を出した。

今起きたばかりと言った様子で、何度も瞬きをしている。

「おい、こんな夜に何を言い争っているんだ」

「すまない。起こしてしまったか」

「あれだけ大きな声で言い合っていて起きない方が可笑しい。何した」

どうした、ではなく、何した、と言われたことにダレンは溜息を吐いた。

マルクは、ダレンにもしたように、ヘルマンにも誇らしげにあの解剖図を見せた。見る間にヘルマンは忌々し気に表情を歪める。

「なんだ、悪魔か?」

「違う。新しいBuriedbornesを強化するための技術」

「はぁ?」

「昔にあったんだ、貧弱な屍体でも強化すれば優秀な戦士になるってある」

「正気か?」

その問いはマルクにではなく、ダレンに向けられたものだった。ダレンは肩を竦める。

マルクは正気だし、本気で言っているのだろう。だからこそと戸惑いが拭えない。

「現実的に不可能だ。いくらダレンがいても、ダレンには腕が2本しかない、そんな悪魔みたいに6本もある体なんて強化じゃない退化だ。使いこなすことなんて出来ん」

「ヘルマン達は何もわかってない。僕が正しいんだ。理論上は多肢化に伴う脳の感覚相異も適切な訓練を経れば解決できる。幻肢痛の逆だし、伸びた髪の先に感覚があるのと一緒だ」

「とにかく俺は反対だ。出来んもんは出来ん。それに、そこまで落ちぶれたくない」

「じゃあ、このままじりじりと死を受け入れるって?」

「魂の眠りをそこまで無碍にすることはしない。それがたとえ見知らぬ誰かであろうと」

マルクは冷めた目でヘルマンを窺い、それから、ダレンを見た。

ヘルマンの登場でかえって冷静になった。

生き延びるために墓を暴き、屍者と戦うため魔の契約を使った。そんな自分達が何を迷うというのか。エミリアがここにいたら、恐らく自分はきっと……――

「このままでは俺達全員、餓死するか、屍体どもに見つかって殺されるか、だ……」

それは誰でも分かる事だ。自覚している、けれど。

ダレンはしっかりと言葉にした。

「でも、だからと言ってそんな事出来るわけないだろ、マルク、落ち着け」

「……」

マルクは何も答えずに、じっと解剖図を見つめている。

「マルク! 聞いてるか」

ヘルマンが声を荒げた。

「いいか、絶対に辞めろ。まだ死ぬと決まった訳じゃない。可笑しいと思わんか? そこまで堕落していいのか?」

「これがあれば生き延びられる」

「マルク、黙れ。それでも出来ん、俺達は人間であるべきだ」

話は終わりだと言わんばかりに、ヘルマンは大きな足音を立てて部屋を出て行った。

人間であるべきだ、その言葉は理解できる。では、すでに墓を暴いた人間があるべき人間とはどんな存在だろうか。

ダレンは心の底が震える感触を必死で押し殺して、自分の部屋に戻った。


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それから、少しの時間。

ダレンは自身のベッドの中でじっと目を凝らしていた。粗末な毛布を握りしめ、夜の闇を見つめていた。

ヘルマンの部屋は早々に灯りが消え、マルクの部屋からは神経質そうないら立った足音が響いていたが、少し前に灯りも消え、物音も消えた。

完全なる静寂。

その中でダレンはようやく体を起こした。

――なら、エミリアがいても、この方法を試さずに彼女を死なせるの?

マルクから投げかけられたその言葉が、ぐるぐると頭を回っている。

研究室にそっと向かい、また闇に目を凝らす。誰も気づいていない。

エミリアがいたら、この方法を試さずここで彼女を死なせるのか?

エミリアがまだ生きていたら、彼女を見殺しにするだろうか? エミリアに孤独を救われたこの俺が?

そんな事は、絶対しなかっただろう。彼女を守るためなら、きっと俺は、この方法も厭わず使うはずだ、これは当然の事だ。生きるために、エミリアを守るために。

安置しておいた屍体を何体か検め、一番筋肉質な腕を選んだ。戦死した時の傷か、足は骨まで粉砕して原形がなかったが、両腕はしっかりと残っている。

無言と反するように、研究室には鋸を一心に引く音と骨の断ち切れる聞いた事のない音が響き始めた。

マルクに眼前に押し付けられた解剖図は、すさまじいインパクトでダレンに記憶されている。

不感になる事は、皮肉ながら慣れていた。

エミリアを今度こそ守り抜く。二度と彼女を失わないために。

「……出来た」

自分の声が虚ろに響く。

ダレンの目の前には、屍者よりも奇異な4本腕の屍体の兵士がいる。

再度耳を澄ます。誰も起きていない。

ダレンはゆっくりとBuriedbornesを開始した。自らの作り出した奇怪な化け物を試すために……


~つづく~

原作: ohNussy

著作: 森きいこ

ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸い

です。

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