第27話 『ある術者の1日 (3) – “日暮れ”』 One day of a necromer chapter 3 – “Nightfall”

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薄っすらと曇天の空は透けた月の光で淡く辺りを照らしている。

生き物のすべてが寝入ったような夜の底を『化け物』が上体を大きく揺らしながら歩いていた。

夜行性の動物達がいるはずの森の奥だが、その『化け物』のせいで逃げてしまっているのだろう、聞こえるのは土を踏む不規則な足音だけだった。

右足を一歩踏み出せば、大きく左の上半身が揺れ、倒れそうになるのを堪えじっと立ち止まる。

まるで歩きはじめた赤ん坊のような覚束ない足取りだ。

この『化け物』は姿こそ人間の兵士だったが、肩の付け根から一対の腕と、もう一対の腕がが伸びている。人間より一対多い腕を持った兵士はゆっくりと動いていた。

その体はダレンによって当然感じたことのない違和感を生じさせる。

Buriedbornesの術は既にダレンにとっては馴染んだものだ。

屍体との繋がりは既に改良している。俗に『魔の契約』と呼ばれる技術であり、屍体との精神接続に手を加え、屍体から得られる情報を増やしたり、感覚を過敏にしたりする技術で、今までこの難局を乗り切って来た。

屍者と戦い、そして食料品などの日常的に必要なものも屍体とのBuriedbornesを頼りにしている。

近隣の住民たちがひっそりと運んできていた屍体はダレン達が掘り返し、Buriedbornesの為に消費してしまった。

肉体的に戦える相手ではない屍者が徘徊する世界を生き延びるのに屍体――出来るだけ強いならばなおのこと良い――が必要だった。

だからこそ、マルクの言い始めた恐ろしい提案に乗ることにした。

生き延びなければならない。それに、エミリアを守れなかったのは自分たちに力がなかったからだ。力が欲しかった。後悔しないだけの力が。

エミリアを守るためにも。

力がなければ、手に入れればいい。

改造した屍体の感覚は慣れない。重い上にバランスが悪い。腕のすべてに神経に行き渡らせるためにも試運転をするべきだった。

通常の位置にある腕はかろうじて指先まで動かす事が出来るが、先程繋いだばかりの腕はほとんど飾りだ。

黙々と歩く。

森の中、頭に当たる梢を振り払おうとしてひっくり返ったり、足を取られて手を伸ばそうとして失敗したり、何度も転んだ。4本の腕で起き上がるのは至難の業だったが、その過程を何度も何度も繰り返す。

どれだけ時間が経っただろうか。曇天の空では星の動きも見えず、時間の経過が計れない。

ただ、ダレンはすっかり4本の腕を我が物にしていた。

全速力で駆け出し、飛び上がる。ゴムまりのように飛び上がって、4本の腕で周囲の木々を掴み更に飛び上がる、木立を完全に抜け空を滑空するように着地する。

足だけでは当然折れてしまうので、4本の手も同時に地面につけるのがコツだ。

着地の衝撃はあるものの、体へのダメージはほとんどない。

「……すごい……」

Buriedbornesによって肉体の持つ意識的な限界は突破している、その上に更なる増強をするという事の意味を痛感する。

ダレンは傍らに森に隠していた武器の中から、両手剣を選んだ。

ランスやレイピア、様々な剣などを様々なところに置いてある。適宜必要になった時の為に供えているものもあれば、そこで行き倒れた人間の置き土産のこともあった。

両手剣は、両刃で重量がある。相手の骨まで叩き切ることが出来る代わりに、使いこなすには相当の身体能力が必要になる。

農夫上がりの雑兵の腕力では精々両手でやっと振り回すことが出来るレベルの武器だった。

それが、どうだ。

ダレンが慣れない方法で接続した4本腕は、軽々と両手剣を持ち上げる。子供の背丈ほどあるその剣は、羽箒よりも軽く感じた。

信じられない。

筋肉を移植し、改造しただけでこんなに変わってしまうものか。

ぐるりと頭上で剣を回す。バサバサと木の葉が分断されて落ちてくる。

次はしっかりと構え、大きく踏み出した。

剣の重みも利用して、体を回転させて空を抉るように掻き切る。

手ごたえがあった。

見事な枝ぶりがいくつも切り落とされ、ダレンが過ぎた辺りにはぽっかりと道が出来ている。

木に咲く名前も知らない花に、連撃を加える。

風の音の後に無残にも散った花びらが、既に地面を覆っていた枝葉の上に満ちる。

「……これは、行けるんじゃないか?」

感じたほどのない充足感。

継ぎ足した手のひらを見つめる。既に違和感のなくなったその手のひらは、ダレンの思い通りにゆっくりと握り締められる。

感触もしっかりある。

これだ。

これなら、きっと……

ごくりと生唾を飲んだ時、唐突に体に衝撃が走った。

すわ敵襲かと辺りを見回した時、意識に独特に走り始めた靄に気が付いた。

体を揺さぶる気配が強くなり、引きずられるように意識が浮上する。

――目が、覚めるのだ。


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森の中にいたはずだが、目覚めた時は薄暗い研究室だった。燭台の頼りない灯りでさえも、目に痛く、つらい。

強制的な目覚めは激しい身体的な不快感を伴う。

「……う、うう……」

「お前! 何した!」

怒号に近いヘルマンの大声に、ダレンは頭を抱えて苦しむ。

込み上げてくる吐き気を堪えるので精いっぱいで、ヘルマンの表情を見る余裕すらない。

そんなダレンの様子を気にすることもなく、ヘルマンはその肩を強く揺すった。

「おい! ダレン!」

「そんなに怒鳴らなくても聞こえている……、頼むから少し抑えててくれ」

「よくも、この状態でそんなことが言えるな」

そこでようやくヘルマンの顔が蒼褪めていることに気が付いた。

ダレンはすぐに自分の状況を理解した。

鼻につく嗅ぎなれた臭い。屍体とは言え体の中に残っていた血は流石に流れ出る、その血が錆びた強烈な臭いを放っている。

見れば、自分の体は血や汗で汚れている。

その上、腕のない屍体が倒れた辺りから、開け放たれたドアまでは何かを引きずったような跡が残っていた。

――ヘルマンは気付いている。ダレンが禁忌を冒したことを。

「頭が割れるように痛い」

負荷が強すぎた。

慣れない4本腕を扱った上に、そもそも改造手術までした。

限界だ。

ダレンが頭に手をやると、激高したヘルマンがその手を弾いた。

「何をするんだ、ヘルマン」

「そっくり同じ言葉を返すぞ、ダレン。お前を見損なった」

「……見損なう?」

「お前はマルクほどおかしくはなっていないと思っていた」

おかしいとはなんだろうか。

屍体を改造したことか、この世界が滅んだことか、そもそも、自分たちが生き延びたことか。

「成功した」

ぽつりと告げる。

「森の奥に接続が切れた状態で倒れてると思う。埋めなくちゃ」

「そんな必要はない!」

「あるだろう。残り少ない屍体だ。しかも、両手剣だって軽々使える」

「許されない事だと、あれほど言ったはずだ!」

ヘルマンが怒れば怒るほど、ダレンは冷静になっていった。

屍体から切り離した瞬間から、その物体は『パーツ』でしかなかった。

そして、その『パーツ』を接続するだけで、劇的に戦闘能力は上がる。その分処理すべき情報が多くなり、屍術師としてダレンに求められることは増えるが、そのリスクを補って余りあるほどのメリットがあった。

あれほどまでの強さがあれば、屍者と対等以上に渡り合える。

今まで戦闘では恐怖が勝る場面も多かったが、ダレンには確信があった。あの体なら、パー『パーツ』によって強化され、更にその身体性能への信頼から、自分自身も安定した操作を可能に出来る。『パーツ』を腕ではなく足にしたら? 組み合わせ次第で恐らく得られる能力は無限に近く増える。

「……これしかないんだ、ヘルマン」

内心で考え込んだ言葉を押し殺して、静かにダレンはそう言った。ヘルマンは途端に顔を真っ赤にさせて、睨みつけてきた。

「人の命を弄ぶことに、何も感じないのか!?」

「……それを俺に言うか?」

ダレンの乾いた笑いに、ヘルマンは一瞬怯んだ顔をした。

「元々、人は人を殺す。戦争でなくても、意味がなくても、嬲り殺すこともある」

「……」

親を目の前で人間に殺された。確かに領地を争う戦争で、あの辺りは貧しい地域だっただろう。だが、戦争とは関係ない兵士たちの略奪行為で家族は死んだのだ。

もしかして、嬲られたのかもしれない、あの頃の小さなダレンは物陰に潜んでじっと動かないことしか出来なかった。

人間は人間の命を弄ぶ。そして、ダレンはずっと弄ばれる側だった。

このまま何もせずにいれば、自分達3人は弄ばれる側のままだ。

それはきっと、エミリアも……

だからこそ、もう弄ばれる側にはならない。怯えて生きる必要がなくなるのだ。

ヘルマンのように街で恵まれて育っていたのなら、ダレンもきっと屍体を切り刻む人間を理解できなかったかもしれない。

だが、

「生き残るためだ。俺たちが全員で生き残らなくちゃ意味がないだろう?」

ヘルマンに語り掛ける。自分自身にも言い聞かせるように。

だが、ヘルマンは首を振る。

「そこまでして生きるのか? マルクにも言ったが、俺は絶対に反対だ。理解出来ん」

「エミリアを誰が守るんだ? 力がここにあるのに、まざまざと蹂躙されるべきだっていうのか?」

「ダレン!」

「ヘルマン、今は理想だけじゃ何も出来ない」

「……ダレン貴様ッ!」

ヘルマンが拳を振り上げる。

不思議と逃げようと思う気持ちも起きなかった。殴られて当然だと囁く自分もいる。

「へ、ヘルマン!?」

ただ、ヘルマンは結果的にダレンを殴ることはなかった。

起きてきたマルクが慌てて、2人を引き剥したからだ。

「一体何を――」

そうと思うとしたマルクが息を飲んだ。

そして、研究室を見回して、ダレンを見た。

「試したんだね!」

一言だけだった。確信に満ちたその問いにダレンもヘルマンも反応しない。

「ヘルマン、僕はダレンのことを責めない。いつかやるべきだったことを、今、やってくれただけだよ」

「マルク……お前正気なのか? 見てみろ、あの屍体を! ダレンが切り落としたんだぞ、腕を!」

「接続した方の体はどこにあるの? 血の跡、外か。もう埋めたの?」

「いや、途中でヘルマンに叩き起こされたから森の中で倒れてるだろう」

「そんな! 勿体ない!」

マルクは無邪気な子供のように声を上げる。

2人の淡々とした、完全にその方法を受け入れ切ったその態度にヘルマンはじりじりと後じさりした。

「――お前達、頭がおかしくなったのか?」

ヘルマンは信じられないものを見るように、2人を見下ろしている。

「その内、エミリアも使うようになるぞ」

呪詛のようにそう漏らしながら、ヘルマンはふらりと研究室から外に出て行った。

「ヘルマン、外は危険だ!」

屍者も魔物もいる外に生身のまま出て行くなんて、殺してくれと言っているようなものだ。

咄嗟に追いかけようとしたダレンをマルクが止めた。

「きっとあの墓地だ」

エミリアの元へ向かったのだろう。

ダレンも頷く。

「だからこそ、早く追わないと」

「Buriedbornesを使おう、生身で向かうのは僕たちだって危険だから」

「そんな悠長な時間は……!」

「ダレン。全員が死んだら、それこそ意味がないじゃないか。今のだって、みんなで生き延びるために必要だから議論したんじゃないの? 全員じゃなきゃ意味がないよ」

マルクはそう言い切って俯いてしまう。

自分よりも小さな肩が震える。いつも術を支え、新しい知識を持ってきた年下の友人だ。

昼間だって、ダレンがいたから生き延びた、これは神の導きだと熱く語っていた。

誰よりも知識に秀でたマルク。ただ、彼はずっと変わっていなかった。どうしていいのか困り果てると、一番先に弱音を吐き、泣きべそをかいたのはマルクだった。

泣き虫マルク、と呼ぶエミリアの柔らかい声が蘇る。

4人で遊んでいたあの広間や図書館が、ありありと思い出された。

自分に出来ることは少ない、だが、生き延びるために、エミリアのためにまだ出来ることがあるはずだ。

「分かった、マルク。Buriedbornesの準備をしてくれ」

「うん、少し待ってて!」


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墓地は夜とは思えない賑やかさで、白々と明け始めようとする空の下、おぞましい姿を見せていた。

急ぎそこにあった屍体をBuriedbornesにして追いかけたもののの、時間がかかってしまった。

「……ヘルハウンドだ」

マルクの声がはっきりと脳に響く。

墓地の中を黒い影がうろついている。そこかしこから唸り声が上がり、ダレンは足を止めた。

黒い影のように見えた犬型の怪物は『何か』に群がっている。

「ヘルマン……」

マルクが先に状況を理解したようだ。

「まさか」

一瞬意識が遠くなる。

まさか、そんな。

信じられない。

ヘルハウンドの荒い息遣いとともに、肉を噛み千切る粘着質な音がする。

背筋が粟立った。

あの中にいるのは、ヘルマンだった『もの』だ。

まだ人の形はしていたが、喉や腹は無残にも噛み千切られ、臓物が周囲に撒き散らされている。

数頭のヘルハウンドが無我夢中になりながら、我先にと腕や足を奪い合っている。

吐き気がするが、胃液すら分泌されない屍体の体では吐くことは出来ない。

この墓地のことは隅々まで知っている。

ほぼ毎日通い、3人で新しそうな墓を見つければ掘り返した。ただ、来るのは決まって昼間だった。夜に出てしまえば魔物がやってくる。太陽の光に守られ、それぞれ武器を持ちながら、恐る恐る墓場に来るときも、ヘルマンはダレンたちを叱咤し、先頭の露払いをしてくれていた。

墓標とも呼べない粗末な墓のほとんどは自分たちで暴いた。まだ手付かずの墓のほうが少ないことは分かっている。

そんな墓の中、ひとつだけきちんとした墓がある。墓標も刻み、花を植えたそこだけが華やか。

エミリアの墓だ。

「エミリア……!」

エミリアの墓の前、そこに植えたはずの花は踏み倒され、ヘルハウンドたちがうろついている。

傍らには折れたスコップが落ちている。ヘルマンが墓を掘り起こそうとして襲われたのだろう、墓穴が浅くなっていた。

「そんな、エミリア!」

彼女は墓から引きずり出され、上半身が地上に露出していた。

エミリアの安らかな眠りを妨げる者が誰であろうと許さない。

ダレンは駆け寄って、折れたスコップを手に取り、ヘルハウンドたちを追い払う。

スコップに打たれたヘルハウンドはけたたましい鳴き声をあげて吹き飛ばされたが、すぐに体を反転させて着地した。

頭を低くし、牙を剥き出しにして唸るヘルハウンドは、泡を吹きながら突進してくる。

すかさず、ダレンはスコップの先でその牙を受け、腹を思い切り蹴り飛ばした。

「ダレン、今の隙にエミリアを!」

マルクが叫ぶ。

「ヘルマンもいるぞ!?」

「その兵士の屍体でどうやって2人を連れ帰るの! 1人が限界だ!」

ヘルハウンドの数頭はまだヘルマンを夢中で貪っている。エミリアを狙っていた数体は、ダレンのスコップを受けて距離を取ってにらみ合う格好になっている。

(……確かに、この状態ではどちらかしか助けられない……)

そう思えば、腹は括れた。

「……すまない、ヘルマン」

聞こえることはないと知っていても、呟かずにはいられなかった。

エミリアの腕を掴み、一気に体を引き抜く。

土に汚れてはいたが、埋葬時の手入れが功を奏したのか、虫もたかっておらず、肉も落ちていない。君はあの日のままで美しかった。

穏やかに目を伏せている彼女の背と膝の裏に腕を入れ、抱き上げる。

「ダレン! しゃがんで!」

マルクの声に咄嗟に体勢を低くすると、後ろから迫っていたヘルハウンドが火を吐きながら襲ってくるところだった。

咄嗟に片手でスコップを力任せで横に薙ぎ、鋭い錐状の刃先がヘルハウンドの腹を抉る。

「本当にすまない、ヘルマン」

もう一度叫ぶように詫びて、ダレンはエミリアを抱えたまま、墓地から逃げることしか出来なかった。


~つづく~

原作: ohNussy

著作: 森きいこ

ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸い

です。

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