ゲームに何を求めるのか -Buriedbornes 開発で見えたもの-

おかげ様で、Buriedbornesは盛況を博し、拙作中でも過去最高の成功と言える実績を達成しております。

本作の開発ではとても多くの学びと試行錯誤があり、今後のゲーム開発においてとても実のある経験をする事ができました。

そうしたものと、また開発者の立場として個人的にとても大きな問題を発見したため、自分自身の今後のために、このような記事を書くことにしました。


「どう楽しんでもらうか」と「ゲームのダイエット」

Buriedbornes

は、B2という過去に運営していたブラウザゲームのリメイク作です。(”B”uried”b”ornes)

本作も当時のB2も、企画のコンセプトは明確で同じものです。

すなわち、「死=全喪失のハードコアルール」「シンプルな選択肢と奥深い戦略」「ハクスラ的”ドロップ”の楽しみ」の3点です。

同じコンセプトを起点に作った両作ですが、完成したゲームは全く別物になりました。

実は、この3点を起点に作った作品はもう1作品あります。「DeckDeDungeon」がそうです。

同じコンセプトに対してどのようにゲームを仕上げていくかの肉付けを行なっていくのがゲームデザインの基本プロセスになりますが、Buriedbornesに関してはこれまでの他の作品にはなかったプロセスが新たに加わりました。

それは、「ゲームのダイエット」です。

Buriedbornesは、極限まで不要な要素を排除する事に、必要以上と言えるほど神経質になって取り組みました。Buriedbornesが目指した場所は「ゲームを楽しむ上で、余計な事を考えたり、覚えたりしなくても楽しめる」事でした。誰でも、アプリを立ち上げてゲームを始めたら、とやかく考えずに触っているだけで楽しい、という水準を目指したのです。

本作のこの「ダイエット」は、これまでの開発にはなかったプロセスでした。それは、これまでのゲームデザインが、「完成品をいかに面白いものにするか」という1ベクトルだけからの開発であったのに対し、Buriedbornesは「完成品をどのように楽しんでもらうか」という、実際にゲームを遊んでいるユーザの姿をゲーム開発の視点に取り入れるようにした事がきっかけでした。(この視点を取り入れた過去の教訓については本記事では取り上げません)

「ゲームを楽しむ上で、余計な事を考えたり、覚えたりしなくても楽しめる」をどう実現するか?旧3コンセプトを、どうしたら誰でも楽しめるゲームシステムに落とし込めるか?ただ3コンセプトを満たすだけでは、誰でも楽しめるゲームに仕上がらない。何かを足すのではなく、省く事でユーザが基本3コンセプトに届くまでの距離を縮められるのではないか。

その視点から、本作は先の3点に加えて新しい1点が加わりました。それは、「プレイヤーは”求められた選択肢を選ぶ”だけで遊べる」というコンセプトです。プレイヤーが何かをするために能動的にメニューを開いたり、アイテムクラフトの組み合わせを考えたり、スキルビルドのために必要なポイントを計算したり、という旧3コンセプトだけなら採用しているはずのシステムも、このコンセプトによって全て除外されました。こうして、

  • 2択マップ
  • 交換型装備ドロップ
  • 交換型スキル習得
  • スキル選択バトル
  • 2択イベント

というゲームシステムの軸が全て決定されました。

結果として、これらのシステムが無駄を省き、一番ユーザに届けたかった基本3コンセプトを不必要な要素に阻害される事なく楽しめるゲームデザインとして実を結びました。

「遊ぶ人がどう遊ぶか」という、考えたら当たり前の事でも、その姿を正確に想像し想定する事はとても難しい事だと今では強く感じています。元々ゲームが好きな人ほど、その想像は実体から乖離しがちかもしれません。(自分自身の姿を無意識にそこに投影してしまうからでしょう)

ちなみに、この「選択肢を求め続ける」というコンセプトはFiraxis Gamesの名作Civilization・XCOMシリーズから得たものです。これらの作品は「やめどきがないゲーム」として有名ですが、「やめどきのなさ」はこの「選択肢を求め続ける」方法から生まれています。

特にCivilizationで、プレイヤーはゲームから「この件についてはどうしましょう」と質問されます。それに返答すると、次の質問が来ます。技術開発、建設予定、ユニット移動先、外交提案への判断… こうした質問の連続は、プレイヤーを常に「どうしよう」という新しい問題への思考・悩みへと誘い、今遊んでいるゲームについて考えるのをやめるタイミングを奪います。自動ターン終了をオンにしていると、このループはゲームエンドまで途切れなく続きます。全ての質問に答えたら、勝手にターンが進み、次の質問が飛んでくるのです。「Civilizationがやめられない」のは、この構造によるものです。


何故ゲームを作っていくのか

あらかじめ警告を入れておくと、この項目は少し下世話な話題です。ご注意下さい。

Buriedbornesは、私の作品としては過去類を見ない成功となっています。「何故こんなに売れ続けているんだ…」と毎日売上を見ながら考えていました。

しかし、ふと、ある日、私はおかしな事に気が付きました。「何故俺は『何故売れている?』と考えているのだろう?」

Buriedbornesは面白いゲームに仕上がりました。プレイヤーの皆さんは楽しんでくれています。楽しんでくれているので、広告費も増えますし、ませき購入の課金も行なっていただけています。しかし、何故それを”不思議な事が起きている”ように感じてしまったのか?

自分のその思考を逆に遡ると、「この作品は課金アイテムのセール施策を行なったり魅力的商品追加などのテコ入れもしていないのに何故アイテム課金が続いているんだろう?」と考えている事に気づき、そして愕然としました。「面白いゲームだからお金を出す価値があると思ってくれているんだ」という思考よりも先に、「マネタイズ施策の結果として課金が生まれる」と考えてしまっていたのです。気づいた瞬間、何故かとても恥ずかしく、情けない心持ちになってしまいました。

私は妻と子供がいます。3人家族の柱です。収入を得て、家庭を支えていく必要があります。今は子育てとの両立のために、個人開発者としてフリーでやっています。個人開発者の売上は、誰も保証してくれないもので、努力しても駄目な時は駄目で、一切売上が上がらない事もあります。それはとても辛く、大変な事です。

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